堀川通 2017.5.1 5:30 まだ、京都は目覚めていない。
大通りを一歩入ると車一台がやっとの路地となり、路地で囲まれたひと区画ずつにそれぞれゆかりの名前がつけられている。基本的に「通り」と「筋」に囲まれると、その区画がひとつの町として呼ばれるようなので、数え切れないほどの町名ができてしまう。ずーっとさきまで見渡せる細い路地。進入禁止の標識ばかり。車社会の到来など予測してなかった。駐車場を持つ家は限られる。
大通りに面した店は決められた間口の広さがあるのか、隙間もなく整列しておよそ等間隔に並んでいる。町外れにも、このサイズの一戸建ての住宅があり、京都のグローバルスタンダードなのかなと思った。アムステルダムの運河沿いの町のように、間口は狭いがそこそこ奥行きがあって、広さを確保できている。これが、許された標準の間口なのだろうか。
京都御所の西側の石垣塀は延々と続き、京のあるじであることを示す。鴨川の流れ。2017.5.1 きれいにYの字型に治水されている。古代の都市計画と大事業に感心する。
二条にあるこの店は10年前にある方に紹介されて家族で訪れた鳥料理専門の店で、一見さんお断りのような風情であった。ご贔屓すじしか入れない京都の料理店の初めての体験であった。いくら飲んでも値段はかわらず、大原で育った地鳥と空間とひとときをゆっくり楽しんでください、とおかみさんたちから大切にされているのが伝わってきたのを思い出した。ご贔屓すじになれないしがないサラリーマンには、紹介でもない限り、やはりいわれているように京都の料理屋は敷居が高い。
(いまでは、値段はそれなりだけど、誰でもあたりまえのように入れるお店になっているようだ。)
京都生活を満喫されたようですね。
はたぼー上人にとって京都はそもそも生命の根幹になった場所でしょうから懐かしさを感じるのでは❓
日本人のほとんどが京都に憧れをもっていると思います。
私も自由な時間を使えるようになったらはたぼー上人のような旅をしたいと思います。