58歳の時に「青春18きっぷ」で北部九州を巡った。小倉を起点に長崎・佐世保・大牟田・日田などをあてもなくうろつく「青春58きっぷ」であった。またぞろ「自分探しの一人旅」の虫がさわぎはじめ、ふらっとでかけたくなる。今度使えば「青春61きっぷ」となる。JRのだれが企画したのかわからんが、列車の旅の好きな男の心をくすぐる。そのきもはやはりなんといっても「普通列車でとことこと旅することそのものを楽しむ」ということに尽きる。
普通列車に乗っている人は地元の人たちで、スーツ姿の通勤客やがやがや騒がしい通学の生徒たちにまじって、海沿いであればたくましく日焼けした男たち、雪国であれば透き通るような白い肌に赤いほっぺをした生駒里奈ふうの子たち、作業着姿の工員さん、農家ふう、冗談の通じなそうな公務員ふう、いろんな顔が停車するたびにいれかわりに登場しては退場していく。東北であろうと名古屋であろうとお国ことばのひびきが心地よい。いい人生を送ってこられたであろうおだやかな顔、かわいらしいけど意地悪そうな21歳、毒々しい口紅が唇からはみだし、どうみてもあきらかに化粧に失敗したOL、人あたりはよさげだがおっちょこちょい、そんな人たちが3、4駅乗っては下りていく。舞台こそないが、吉本新喜劇なんば花月なみに見ていて飽きない。基本的に車内ではひまだから自然と視線はこうした愛すべき地元の人々に向けられる。苦節61年のおやじともなれば、一目見れば性格の良し悪しは言うに及ばず、長所短所、弱点、酒癖の悪さ、女性の好みまでお見通しだ。胃潰瘍2回、十二指腸潰瘍2回、痛風3回と痛い目にあいながら目を養ってきたのだ。青い海、山の緑、ひなびた街並みなど移り変わる外の景色を眺めつつ、そんな人々の日々の生活や暮らしを想像してみるのも楽しい。地元の人たちの生活の足である各駅停車になんの関係もない見知らぬ変わり者が場違いにどこへ向かうでもなく何時間も揺られている。
「青春」とはいつまでをいうのであろうか?「青春18きっぷ」というぐらいだから「18歳」が青春のまっただなか、ということになるのだろうか。青春を超えれば、あとはおやじおばさんに向かって転げ落ちるだけなのだけれども自分であのときからもう青春ではない、といえる瞬間ってあるのだろうか。
私のばあい、青春でなくなったのは旅をするときに「指定席をとる」ようになってからかな、と思うときがある。学生時代は年末年始や夏休み、5月の連休であっても列車に飛び乗っていた。「あらかじめ座席を確保し、ゆったり旅行する」なんてことは考えなかった。「安心して」の発想もなかった。混んでいようとおかまいなしで自由席を使っていた。混雑していても、デッキに立ちっぱなしでも平気だった。5月の連休、新幹線の自由席にお東京駅からとびのって、岡山まで立ちっぱなしということもあった。混雑率200%だったが、隣で立っていたおばあさんに空いた席を譲る、なんて余裕もあったほどだ。学生食堂のカレーに肉が入ってなかろうと、銭湯で待たされて、「小さな石鹸 カタカタ鳴って 寒いねっていったのよ」でも少しも悲しくはなかった。早い話、何事にも無計画無頓着で、思い立ったらの行き当たりばったりで、だった。えらくもかしこくもない、ただそれだけのことだ。それは手帳を持ち歩き、収支を記録しだしたときと重なる。20歳のころ、京都にいくのに東京発大垣行き、という普通列車があって東京駅を23時ころ出発した。さすがに先輩がリクライニングの座席の「グリーン車」がいいというので並んで乗り込んだのが思えば普通列車の旅の原点である。