病院は憂鬱だ。やってくるのは病人か病気の疑いがある人たち、またはこれから患者になるやもしれない人だから。待合室では上を見上げたり下を向いたりため息ついたりしいてる人たちがそれぞれ神妙な面持ちで順番を待っている。本を読んでいる人も見かけるがたいていは目が泳いでいてまともに読めていない。きっとうわのそらだ。
おやじもつい先月、大腸内視鏡検査で出頭を命ぜられ、ご家族を呼んでくださいと伝えられた場合のことを、あれやこれや待合室で思いをめぐらせていた。ステージ1のとき、ステージ2のとき、3のとき、、、「そのときあなたはどう生きるべきかどのような態度で臨むべきか」。
①家族にかける金銭的また看護への負担、②おれがいなくなったときの家族の悲しみ、喪失感がいかばかりか。③取引先のこと、仕事の引継ぎ。
①は高額医療補助でまかなえるだろうか、高度先進医療はきっぱり断ろう。付き添いや看護に負担をかけるのは忍びない。②家族の私への日頃の応対の雰囲気からしてさほど心配に足らず、と判断。③目下無職定職なしで心配無用。あんましこの世に必要とされていない疎外感あり。
担当医は決死の思いで「どうでしたでしょうか?〇×を疑ってたんですが。」とうるんだ目で袖にすがる患者に、拍子抜けするくらいあっけらかんと、「残念ですがご期待には応えられませんでした。」という。本人の真剣な眼差しをよそに余裕で笑っていた。ポリープのとらなくてもいいかもくらいのちびっちゃいのを2個切除で無罪放免。
翌月同じ病院で娘が出産をすることになっていた。診断前の悶々としていた時、もし私に何かあったらこう書き残すつもりだった。
「私の人生は語るべき誇るべきものではなかったかもしれないがささやかなる幸せに包まれ過不足なく暮らすことができたことに感謝しているところである。奇しくもいまこの病院で私の命と引き換えにこの世に生を受けるであらふ新しい命に未来を託すことになった。まさにいま私はいま命の炎をつながふとしているところである。」
そして、ドラマ仕立てにバトンを渡そうとしていたが、新しい命と並走することなってしまった。孫の誕生。
無事に産まれるまでは祈るような気持ちだった。「どうかいい子が産まれますように。箱根駅伝ではぜったいに順天堂を応援しますから、いけない遊びもしませんから、社会貢献もしますから、ほいほいふらふらあちこちにでかけないで、ぶらぶらしてないでちゃんと働きますから」
3,868グラムの大きな子が授かった。細い体でよく頑張ったねとまずは娘を労う。そして、「これでまた車中泊いけるわ。」と胸をなでおろす。
うまれたばかりの赤ちゃんはたいていはぶちゃむくれで仏像のような顔をしている。ふわふわして手足を空気をつかむように動かして。笑顔もない。だけど無条件にいとおしく愛らしくかならず守ってあげる、大切にしたいという思いにさせる。あかちゃんはまわりを、それが親でなくても、そんな思いにさせるようにつくられている。
かたときも目を離さず、わが子を慈しむ娘は輝いている。これからしばらく昼も夜もなくこの子のために自分の時間のすべてを捧げることになる。映画にも渋谷パルコにも代官山の美容院にもいけない。車中泊などもってのほかである。25才の若いパパは後ろで突っ立ってぎこちなくおろおろしているだけ。(笑)
病院は憂鬱だと言ったが、産婦人科の病棟だけは別。新しいいのちに会いにきた家族の笑い声と笑顔に包まれている。なかには保育器でしばらく過ごす赤ちゃんや手当が必要な子もいる。でも新しい命への感動と喜びに満ちている。お母さんたちはまだ体が火照っている感じで堂々としている。どのお母さんの顔にも大仕事をしたあとの喜びや満足感とこれからの子育てへの母としての覚悟が刻まれている。私も痛風発作の時は「また陣痛が来た」と騒いだものだが、痛風では何も生まれなかった、、
西武池袋線「練馬高野台駅」は順天堂練馬病院に向かう人たちでいっぱい。さらに病院は病棟建設拡張中。隣駅「石神井公園駅」も「私の失われた東京の5年」のあいだに高架工事と駅前の再開発によってこじゃれてハイソに変貌していた。
2018.6.13
孫ベビーのお誕生、おめでとうございます。
私が半年先輩です。
赤ちゃんって、本当に可愛い。
どこの赤ちゃんも可愛い。
この子達が平成の次の世界を担って行ってくれます。
私達は温かく見守って行きましょう。
我が家はじいじ、ばあばとは呼ばせません。
今のところJJとあたたんです。
先輩のまめたんさん、ありがとうございます。何があっても、どんなわけがあっても、味方になってこの子は守ってあげなくてはなりませんね。運動会でこけて骨を折ろうと、日に焼けようと、会長として若社長を支えないとね!