富士山の追っかけ

通過儀礼にと21歳の夏に富士山登山に挑戦した。どこぞの損害保険会社のCMではないが「富士山を侮ってはいけない」とそれなりの装備で霊峰富士の登頂をめざした。それ以来登っていない。石ころを踏んでこの山を何度も登る人がいるが気が知れない。


赤茶けた砂と岩、石ころが富士山の正体だった。月面を歩いても同じだろう。草花も小鳥のさえずりも木漏れ日もない。お汁粉、だんご茶屋もない。異質な世界。雲海が広がる。8合目の山小屋で雑魚寝。日の出を拝む。高山病で景色が黄色く見えた。あれから40年近く。気象衛星の登場で気象観測所もお役御免でなくなった。シーズン中は外国人も増えて原宿竹下通りのように混雑していると聞く。でもときおり振り返り眺める絶景は別としてこの無機質な景色は昔も今もかわらないのだろう。


思えば、19歳で横浜に移り住んで以来、いつも富士山のまわりをうろちょろしていた。富士山が見えるところにほいほい出かけてはその神々しくお美しいお姿を拝み、手を合わせ、涙を流し、祈りを捧げ、懺悔し悔い改め、明日への活力をもらい、していたことに気が付いた。気まぐれで放浪癖のあるおやじもなんのこたない、富士山のまわりをうろついているだけだった。たまには南極とかチョモランマとか、雲南省とか放浪してみろ。


伊豆箱根、山梨、静岡、八ヶ岳、千葉。今でいう「追っかけ」だった。これはもはや「信仰」というべきなのではないか。教祖富士山さまの精霊が「私を見なさい」と「見に来なさい」と枕元で語りかけるとき、すっと私は目覚め起き上がり、日本の霊場エルサレムへの旅支度をするのだ。これを「聖地巡礼」という。遠い昔ザビエルだのイエズス会だののずっと前にシルクロードのキリスト教徒たちが中国、朝鮮を経由し富士山をめざしてやってきたように。河口湖は「死海」でもちろん駿河湾は「地中海」である。本栖湖が「ガリラヤ湖」にあたる(笑)。


「富士山」ナンバーをよく見かける。静岡、山梨の広域が対象となる。でも富士山は宇宙からはっきり見える巨大な独立峰でその東西南北で気候や景色はもちろん文化、暮らしが全然違う。「富士山」を名乗りたいのはわからないでもないがぼやけてとりつくしまがない。意味のない「東京」ナンバーみたいなものだ。どうせ役人の発想であろう。「沼津」、「三島」、「下田」、「富士吉田」、「御殿場」そんなナンバーだとそれぞれの個性豊かなその土地の景色やお店のようす、住んでいる人たちの顔が浮かぶのだけれど。

2018.12.6


眼下に河口湖。

終活のため写真の整理をしている。21歳のおやじ。2年後に結婚することになる。

2019年の年賀状にこの西伊豆戸田港からの写真を使うことにした。西伊豆からの眺めがいちばんのお気に入り。

 

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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