本会は1700人を擁する日本最大のボランティアガイド団体で、そのうち「下町グループ」は私たち新規会員20名を含め実動会員160名のグループだ。
なかまうちで街歩きを楽しむことより、実際にお客さんのガイドをすることに重きを置いている。
会場は東京の下町の首都である「浅草」の「台東区民会館」。支部の正式名称は「足立・荒川・台東・墨田」グループといい、リーダーは浅草で生まれ育った加藤さん。
昨年の活動実績の報告と決算、そしてこれから1年の活動予定と予算案が示された。
閉会後は新入会員に対して実際の町歩きガイドを体験してもらうという企画もあって浅草寺一帯をリーダーたちがガイドとなって説明をしてくれた。
年齢層は高い。リタイアした人たちが中心になるのはいたしかたない。
職場以外の新しいおつきあいがはじまる。なるべく話しかけることにした。
浅草で1年勤務していたことがあるにもかかわらず、説明された内容は知らないことばかりだった。
そしてガイドとしての心得、やってはいけないことなど注意事項の説明もあわせて町歩きしながら教えてくれる。
「この大きな草鞋の意味はわかりますか?」
ー「この門を守っている仁王が履いている草鞋でこれを見た悪魔がおじけづいて逃げ出すようにとかけてあります。」
「この石は江戸時代に浅草寺に参詣に来ていたこどもが迷子になったとき、東側の面に「迷子を預かっているよ、〇×町の与平」やら張り出していたもので、西側は迷子探しの『こんな子知りませんか』の面になっている。
「江戸時代のコミュニケーションツール」として世界に誇れるものです。」
「この木なんだかわかりますか?
銀杏ですね。ごらんのとおり焦げています。1945年3月10日の東京大空襲のさい、本堂は焼失しこの木も焼けてしまいました。しかし見てください、葉が茂ってますよね。枯れていません。
銀杏の木は生命力が強いことで知られています。東京都のシンボルマークのことみなさん知ってますか?そう銀杏の葉ですよね。「復興のシンボル」として銀杏が選ばれたのです。東京大学のマークもそう銀杏です。」
優秀なガイドにかかると1本のなんでもない枯れ木がたちまち観光遺産になるのです。空襲のときに真っ赤に燃え盛ったであろうあたり一面のこと、素通りするような見向きもされない石柱が江戸時代の浅草寺の喧騒と子連れの親子のこと、そして識字率の高さのことなど思いを江戸時代までつれていってくれるのです。
街歩きガイドは道案内ではない、というのが本日の感想。
その日のお客さんの年齢層で内容をかえないといけないので「引き出し」をたくさん用意しておいてくださいという。説明の内容に「そんなこと知っとるわ」などといってくるお客さんもいますが、下を向いたら負け、メモを読むのも3分以上の説明もNG、地方からの修学旅行生は歴史など話してもくいついてこない、アイドルのことや「君の名は」のロケ地とか案内すると目の色がかわる、などなど。
昼食会の自己紹介で「無口で、口下手で、人見知りする性格を変えようとこのボランティアガイドに入会しました」とあいさつして。
新入会員20名は元気いっぱいの、人好きお話好きの人が多いのだろうと思っていたら、どよーんとして寝ぼけたような人も少なからず混ざっていて他人事ながら心配になった。
それにしても平日なのに大混雑の浅草。