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本所深川の深川八郎右衛門のとこに遊びにいってみたら、、、

 


隅田川の東岸のここはやたら寺が多い。明暦の大火(1657年)のあとお寺がここに集められ寺町となったんだ。家康が江戸を開いてから小名木川を掘削し水運の町にしてしまった。

ここらは大名屋敷にまじって木材置き場「木置場」があって、海辺大工町という地名もある。


八郎右衛門のやつの長屋だ。


八郎右衛門はひとりもんで天秤棒かついで深川飯にするあさりを売って暮らしをたてている。いくらにもならんだろうな。家具らしい家具もない。

 


冷蔵庫くらい買えよ。

行燈の油も高いし暗くなると寝てしまう。


長屋の大家のとこでもこれくらいだ。


ぼくは江戸時代の暮らしもいいなとぼんやり思っていたが、ひとつひとつぶちあたりそうな諸問題に考えが及ぶに至って、とうていこりゃダメだわと思えてきて、ぜってーにどんなに頭を下げられてもお金を積まれても家康に大名にしてやるからと頼まれても長屋暮らしはいやだと思った。


なにをおいてまず、電気がない、照明と冷蔵庫、洗濯機、ヤマダ電機にあるもろもろがないのは致命的だ。


無線LANもない、WEBサイトの運営はどうしてくれる、LINEができない、待ち合わせのときどうしたらいい、Amazonもない、キャノンのプリンターもない、一日の疲れをいやすプレミアムモルツペールエールもない、


歯磨き粉も歯ブラシもない、ステップワゴンで移動できない、島忠ホームセンターで工具も買えない、TSUTAYAもない、のないないづくし。洗濯がたいへん、井戸で水を汲む?やってられるか!ウォシュレットがない、武士や役人がえらそうにえばって歩いている、ハエや蚊が多い、ノミやシラミもうじゃうじゃ、虫コナーズもない、けがをしてもイソジン液がない、ガストもマルタイラーメンもない、24時間営業のコンビニもない、急にとんこつラーメンを食べたくなっても博多にすぐにいけない、刺身はこわくて食べれない、


明治時代の紀行作家イザベラ・バードによれば、当時の中国や朝鮮の町の不潔さといったら不衛生極まりなく、日本は清潔さにおいて抜きんでていたという。

それでも寿司やてんぷらの屋台なんぞは今からするとぞっとする衛生管理であったろうことは容易に想像できる。


プライバシーという考えもなさそう、髷を結ってふんどしをしなくてはならない、坊主になるよりいやだ、女性も帯をぐるぐる巻きにしていて、髪結いまでしなくてはならない、スポーツは相撲しかない、


そうそう、こないだ東京シティーガイドの加藤さんから、「江戸に家康が入ってきたときは平地はなく高台と湿地しかなかった」と聞いた。だから川はすぐに氾濫した。江東区、いけない、深川なんて埋め立てしてなんとかした土地のはずだ。


でも、屋根の上のねこのたまはのんびりしあわせそう、

長屋の人たちは親切で、かまって、いじって、からかって、心配して、世話をやいて、米やしょうゆは融通しあって、情け深く、子供は長屋のみんなで育てたたはずだ。見世物小屋や落語もいいな。株式会社やNPOはないが、世の中は回っている。プラスチックもなく、海洋汚染もない、江戸前でのりもとれる。


なにより空は青く澄んで、富士山がくっきり見えて、車の騒音も排気ガスもない、満員電車もないからおやじに囲まれて死ぬ思いをすることもない。恨みがあっても必殺仕置人に頼めばなんとかしてくれる。ただ、化け物、幽霊のたぐいはほんとにいそうだ。吉原の花魁のおっかけもいるだろう。舅のいびりはあってもおぞましい子供の虐待死事件はない。


貧しいながらもつつましく身を寄せ合って暮らしていた長屋の人たちの生活を一変させたのは黒船の大砲で、防衛のためと称し軍が膨張暴走し江戸が焦土となるまでいきつくところまで突き進んでしまった。

 


「深川江戸資料館」

深川江戸資料館

 

知り合いがここでボランティアガイドをしている。200人のボランティアで支えられている、という。


ここにはかねがね気になっていた展示物、江戸の長屋の共同トイレ、がない。

長屋の実物大の共同の厠を実際に設置して、外国人にも利用できるよう工夫し使用して体験してもらって、いまはやりの体験型アトラクションとして当時の暮らしを堪能してもらいたいものである。


江戸時代の地図と今の地図を重ね合わせることができますよ。

大江戸今昔巡り

2019.9.5

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

「本所深川の深川八郎右衛門のとこに遊びにいってみたら、、、」への2件の返信

贅沢に浸っているはたボー様。
私達もこんな物のない時代を過ごして来ましたね。
我が家は水道を使って洗濯をしていましたが伯母の家は57年前は池で洗濯をしていました。
現在公民館が建っている若松区F地区には池があり近所の人もそこで洗濯していました。
そこを通る時にあの風景が思い出されます。

又30数年前結婚する時は、家で化粧.花嫁衣装の着付をして貰い近所の方達が見送ってくれました。
今よりも近所の繋がりが強くお互い助け合っていたからでしょう。
それが煩わしいと思う人が増えた現在、遠くの親戚より近くの他人という言葉はもう死語となったのでしょうか。
先日結婚当初に同じ社宅に住んでいた4人とランチしましたが社宅もある意味長屋でした。
令和の時代も長屋の心が継がれていったらと思います。

江戸時代はおろか、明治、大正、昭和の時代、いやいや便利な暮らしという面では20年前にさえ戻れないような気がします、、、

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