人一人が1日に食べる量の米がとれる土地(たんぼ)の面積だそうな。
そして人一人が1年間に食べる米の量を1石という。
加賀100万石は1年で100万人分の米がとれる領地、ということだ。
近くに敷地17坪の建売住宅を建設中だがそこで稲を育てると一人だと17日分の米が収穫されることになる。
一坪は畳2枚分。
1升1合、匁、尺、寸、貫、反、町、、ええいややこしい!
ただでさえ、中国からめんどくさい漢字なんてもん押しつけられて漢字練習帳で苦労させられて遊び盛りの小学生の時分に遊びにいけなかった。
「薔薇」の字が書けるなんて自慢しているばかCMがあったがえらいともなんとも思わん。
宿題をやってこなかった児童に対し先生は罰としてどういうわけか同じ漢字を何度も書かせた。漢字はむちのかわりに使われた。
当時は親もそうだが先生のことは偉いと思っていた。
長ずるに及びどうやら違うぞと気づいた。
決定打はろくでもない友人がどんどん教師になっていったことだ。
親はわかっていたのだろう。いうことを聞かん子供をぶってもいいから、きびしくしつけてくれ、たのんます、という思いで先生のいうことを聞きなさいといっていただけだ。
人格者であった吉田先生などを除いて教育的観点もなにもない浅薄な気分屋のサラリーマンでしかなかったことに気がついた。
学生時代にドイツを放浪していた時に同じテーブルで飲んでいた若者から「そんなむずかしい文字をつかわなくても自分たちはアルファベットだけで文化も科学もまにあう」ようなことをいわれた。
中国の野郎おぼえとけと本気で思ったが、仏教の経典などに込められた深遠な教えは漢字の奥深さがなければ表せられない世界なのだろう。一文字一文字に意味のある文字なんてほかにない。
小学生の時に女の子をからかってはやしたてた百貫でぶの意味はどうか。ところでそもそも何キロかわかっていっていたのか!
一貫は3.75キログラムだから375キロとなる。確かに小錦以上だ。いまとなってはどうしようもないが謝罪したい。
せいぜい、マックス80キロくらいだろうと思っていたがとんでもないかんちがいだった。
米作中心の鎖国の日本だけが独特かと思いきやアメリカだってグローバルスタンダードと程遠い。
1マイル=1.61キロ、1ヤード、1インチ、1オンス=28グラム、1ポンド=453.6グラム、ガソリンに至っては1アメリカガロン=3.78541178リットルだとよ!
世界のリーダーアメリカは世界標準をどう考えているのやら。
いちいち換算せんといかん。
ジャイアント馬場たちと死闘を演じた一人民族大移動、大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントは体重が520ポンドだったから、換算すると235.872キログラムとなり、百貫デブではないことがはじめてわかる。
「いきなりステーキ」も1ポンドステーキなんてのもある。そうすると100グラム当たりなんぼになるかわからんようになる。いちいち電卓出して計算するんか?
話を戻すと1畳はどうしてその広さにしたのか。
昔の日本人は小さく寝相が悪くても180センチ×90センチでじゅうぶんおさまった。
丈はこれでたいがいおさまったがさいきん横幅が90センチの畳ではおさまりきらない女性をよく見かけるようになった。
任侠映画では悪い親分の手下に斬られたいいほうのやくざはきまって戸板や畳に乗せられ組に運ばれた。そこから唐獅子牡丹高倉健は日本刀を片手に復讐に向かう。
担架で運ばれたんじゃ任侠映画になりやしない。
だから、人が死ぬときに必要な広さ、と定めたのだ(とおもいたい)。それが証拠にいまでもろくでもないやつは「畳の上で死ねない」という。
新居には和室がないから畳はない。だからわしたち家族も畳の上では死ねないことになってしまう。
2020/7/1