月間文化情報誌 「神田 お茶の水 九段 本の街」2021 3月号
戦中戦後を生き抜いたエネルギッシュな初代、二代目。日本中が貧しく飢えていた時代の貧乏学生たちに揚げたての天婦羅をふるまい彼らをかわいがった姿とその学生たちのその後の各界での活躍と成功が目に浮かぶ。学生が学生であった頃の時代。
対照的に三代目は控えめで口数も少なく、どちらかというと愛想もない。
カウンターに座って、目の前で揚がる天ぷらの油の香りとぱちぱちはぜる音、そしてひたむきに天ぷらと向き合う三代目の物静かな姿が温厚そうな姿と相まってとても心地よい。一日中しゃべりずめだからもうひとこともしゃべりたくないしちょうどいいおだやかな時間。仕事はきょうでひと段落。
なんの情報もなく飛び込んだお店だけれど余計なものがなんもないのだ。いまどきレシートもでない。
三代目は言葉を交わさずとも初代、二代目、そしてお客さんへの感謝の念をひっそり胸に秘めて天ぷらを揚げているのがわかる。そんな思いは通奏低音となって根っこの部分に流れているものであって、ぎらぎら表に出すような、そんな安っぽいものではない。これが歴史というものだ。
これまでのコロナ騒ぎでいかに「余計なものに囲まれ、振り回されて暮らしてきたか」がしみじみわかった。
質素な暮らしにはとうてい戻れないかもしれないが、1日2食生活も定着し、体重も目標値で落ち着いている。
お昼抜きになったとたん、ラーメン屋、蕎麦屋、うどん屋の類にいかなくなった。ごちそうももう要らない。くだらん飲み会も不要。海や山にたまにでかけはするが、お客さんから受けた仕事を責任をもってこなしていこう。枯れてきた、というより生活の無駄をそぎ落としてきた、という気分だ。
浜松で連れて行ってもらった寿司屋の名店は大将がカウンター越しにやたら話しかけてきてうるさくてしょうがなかった。
おいしいお寿司も台無し。
特に寿司屋の職人は魚のことはよく知らない素人に向かってうんちくくずれみたいな話をしたがる。それもサービスだ、みたいなつもりでいるがいい迷惑だ。
そんなとき、私はわざと素人のふりをして、知っている魚も知りません、そうですかと適当に相づちを打ち話を合わせる。
客が気を使って大将の機嫌よくさせる店は名店でもなんでもなく、気配りのできないただのがさつな店に映った。
自慢話をしたがる人からは私は距離をおく。信用していないからだ。
今年度のテレフォン相談への従事は1月から3月までに18日間。およそ千人からの相談を受けての感想。その大半は意思を通じ合える会話ができている中で、
自分も歳を取るとこんなふうにわけがわからなくなっていくのかという恐怖心を抱いてしまうお年寄りが少なくなかった。というか多くて困った。とにかく電話が長くなった。
理解能力の低下、質問が要領を得ない、声が細くなって言葉が聞き取れない、間延びしたしゃべり方、そうした老化による経年劣化的な面は致し方ないとして、
① 一方的に話してくる。人の話をきこうとしない。
② こちらの説明を最後まで聞かず、説明の途中で口をはさみさえぎる。
③ 同じ話を何度もくりかえす。
④ 自分の求める答えにこだわり、思いと異なる結論を認めたがらない。
そうした頑固、頑迷、こだわり、自己中心的、異論異物排除、意固地、すなわち老害の多くはいまにはじまったことではなく旧来言われ続けてきた性向ではある。
できることならこんな年寄りになりたくない。
理解力の低下はいいたかないけど、これは致命的で、説明の途中、もうどう説明しても無理、お手上げだわとあきらめかけたこと再三。
こんな年寄りにならないなら何でもする。
横浜に住む「神田生まれの江戸っ子」のおじいさんからの長い自慢話にも辟易した。江戸っ子だの、東京生まれなど自慢にもならない。
その人に備わる品格、品性には生まれも、性別も、家柄も、学歴も、貧富もなんにも関係がない。
それがいままで生きてきて導き出した結論だ。
2021/3/15
先日一時所得についてわからない所があったのでテレフォン相談のお世話になりました。
毎回思うのですが相談員の方はいつも感じの良い方ばかりです。
私も①②③④に気を付け、頑固、頑迷、こだわり、自己中心的、異論異物排除、意固地、すなわち老害の多くにならないよう心掛けました。
フーッ、心掛けたつもりだけどうまく出来たかしら。