江戸城築城のさい伊豆で切り出された石が船で江戸に運ばれ石垣に使われた。人力での運搬はさぞ難儀であったろう。
温泉まちはたいがい川をはさんで湯宿がその両岸に並ぶ。川が流れる景色やせせらぎが旅情をひきたてる。
2021/3/22
いまは重要建築物の資料館として見学ができる「東海館」は大正末期、昭和初期の建築である。この彫刻の力の入れよう。
伊東は1年以上にわたるコロナ禍で苦しんでいる。できるだけ足しげく通ってあげたいと思っている。
鯵のたたき丼が命のおいらではあるが、たまには伊東港で揚がった地魚が売りの「地魚にぎり」をいっちょういただいてみるかとあいなった。駿河湾の宝石たちである生のさくらえびもしらすも大好物であるからして迷いはなかった。
伊東港でのせりの権利を持つ「伊豆太郎」のマリンタウン店。
セリの権利を持つ、というのは相撲でいう親方株みたいなもんだろうか。築地のそれは2億円とかいわれていたように記憶する。
いまがまさに旬のさわら、駿河湾の名物太刀魚などおいしさをかみしめつつ順調に箸を進める。「たまにはいいよね、本場のお寿司も」と自分に何度も言い訳しながら身をすくめいただく度量の小ささ。
そして、「これは、かわはぎだろう。しかも肝つき。」とエサ取り名人のおちょぼ口野郎とののしりながら口に入れたとたん異変に気付いた。
ふぐよりうまいといわれるカワハギのもっちりした上品な口当たりではない。肝も固くとろけない。醤油に溶けない。
白いもち肌にはおいしいが気をつけなければならないことは身に染みている。
たしかにひと目見た時、肝が色も違うし硬直しており何か違うとはうすうす感じてはいた。
身は固めでぐにゅぐにゅしてごわごわしている。もちもちしていない。口になじんでくれない。しかも切り身が大きいのが伊豆太郎のお寿司だ。噛んで潰して転がしてみるが、口の野郎は「大将、こりゃ無理ですぜ、そうとう身持ちのいいやろうですぜ」とぐちをこぼしている。
この貞淑で思いのままにならない方はなんとおっしゃるのだろうとホワイトボードに目をやる。
伊豆太郎がお客さんからの毎度毎度の質問にたまりかねいちいち返事しなくてもいいように毎日掲示している。
ならんでいる順になっている。
まずこのへたうまの挿絵が自分の絵心に自信を与えてくれた。イニシャル「R」が描いたのだろうか。
これによると「まんぼう」。
もしかしておいらはあの海の人気マスコットキャラクターの「まんぼう」を食ってしまったのだろうか。
たいへんなことをしてしまった、、、
あのおちょぼ口で目がまん丸の泳ぎが下手でゆらゆら漂っているだけのあのやさしい子がいったい何をしたというんだ。
性格は温厚、罪を憎んで人を憎まず、人にやすらぎとほのぼの気分を与え続けて数十年。無重力無国籍水中飛行物体、攻撃能力レベル1、水族館では目が悪いせいでやたら水槽にぶつかる。
ダイバーにとってはマンタや海がめとならぶ人気キャラである。
「混獲」だという。すなわち獲るつもりもないのに混じってついでに獲れてしまうという。あまりに悲しすぎるその生涯。
しかも、「商業的に食用とされることは少ない」という。
でも今日ぼくは「特に日本の一部と台湾」にきてしまったために「商業的に食用とされてしまった」
西伊豆ではなく東伊豆にきてしまったことがまちがいのはじまりだった。だから、さいしょから鯵の五匹ぐらいが叩かれて切り刻まれたのがのっかっている鯵のたたき丼にすればよかったのだ、あれほどいったのにテレフォン相談がどうのこうの、慰労だのどうのこうのあーじゃこーじゃいうもんだからこんなことになった。
パンダを鍋にして食べたも同然であった。