「8センチの雪」ですべったころんだの大騒ぎの東京。
80センチの新潟さんや、100センチの富山さん、滋賀さんたちの大御所にどう顔向けするつもりか。
2年前の引っ越しのとき、雪かきスコップやスノーブーツはどうしたもんかと迷ったが、処分せず3階の倉庫に持ってきてよかった。
うちにはスコップが3種類あって、プラスチック製のふわふわの雪見だいふく用、道路のアスファルトの上をすくう鉄製の平たいやつ、そして夜凍結してどうにもならんときにアスファルトに張り付いた氷を粉砕する根性のある先のとがったやつの3つで、ご近所にもこれだけの島忠ホームセンターなみの品ぞろえをしているおうちはない。
戦艦や戦車の砲弾も用途に応じ使い分けることになっているが、この氷結粉砕用のスコップはその「徹甲弾」にあたり、敵の戦艦の甲板や戦車の装甲を貫くためのものだ。
「雪かき」は長年にわたり我が家ここにありのまってましたのセレモニーで、おやじを筆頭に寒がりの長男を擁する災害救助隊として活躍することになっていた。
いまはもう処分してしまったけれど、早朝、夜更けの雪かきのときはスキーウエアに着替え、赤穂浪士の討ち入りの時のようなふだん職場では見せたことのない使命感のみなぎる面持ちといでたちだった。
大石内蔵助は4年、この日を待っていた。
雨は夜更けすぎに雪へとかわるだろう、サイレン、ナイ、ホォリー、ナイ。
きみはきっとこない、
きみはこないが、おやじは雪の日にはきっとくる、
スノーマンもつまらん歌なんか歌ってないできっとくる。
このひらひらと舞う雪はかならずつもる。
そう確信したおやじは夜明けすぎに、積もったサイレン雪ホリー雪を人知れず、除雪してまわる。
我が家の前だけの雪かきに徹する人もいるけれど、ぼくは体力の続く限りご近所さんの玄関のところまで遠征してきた。高齢者になる前は領土拡大サラセン帝国なみの勢いがあった。
ただひとつ隣のアパート前がやっかいでスコップの音がしようがしまいが住人がでてきておれもわたしも手伝うぞとスコップを手に名乗りを上げる人はいない。やる気はあってもスコップもないし、声をひそめるしかなかったのだろうと思っている。
ここがいつも凍結して自転車とかがすべりまくる難所だった。
お向かいのおばあちゃんはご近所の情報通で一昔前なら結婚のあっせんまでやりかねない人だが、雪にはからっきし弱く、積もった雪をプラスチックの「ちりとり」ですくうのがせいいっぱいだった。
そしてお風呂に入り、夜であれば一番搾りでその労苦をねぎらう。
ご近所さんはすっかり除雪された道路を見て驚くだろうか、
我が家の玄関のところまでと感激するだろうか、
おとなりの奥さん、こどもたち、井戸端ご近所おばさん、ねこたちまできっと喜んでいることだろうと、しみじみ感慨にふける。
さて、やろう。
みんなが起きてくる前に。
ぼくの神々しい姿に手を合わせる人がでてくるまえに。
すると、、、
だれがやったん?
やるとこないやん。
お向かいのおばあちゃんがさきほどお礼にみえたが、
「ぼくじゃありません」と力なく答えるしかなかった。