「あの日に帰りたい」編曲ウラジミール・プーチン・ユーミン

あの偉大なソビエト連邦よもう一度。あの日に帰りたい。

もう帰れるはずのないあの日に帰るために根っからのKGBはみずからの野望のためにやってはいけない一手、禁じ手を指した。

資源を売って生計を立てるしかないこの国はこれから長引く戦争で疲弊していくだろう。

買ってもらえなければただの埋蔵物だ。

やけのやんぱちになって核兵器で一線を越えればその時点でプーチンはおしまいだしロシアは世界から見放され国際社会から追放される。

ゲーリング。ドイツ軍の国家元帥。ナチスの侵略戦争を準備した中心人物。

ドイツは独ソ戦の贖罪の意味からロシアには制裁についておそろしく気をつかっているように見える。

1000万人以上の戦争犠牲者をだしたんだ。ナチスの戦争犯罪に対するドイツ国民の意識は日本とまるで違う。


小学生のころから第二次大戦関係の本を読み続けてきた。唯一自分の一貫した研究対象といえる分野かもしれない。書店にはいりこのコーナーを素通りしたことはまずない。

ロシアや中国では自国にとって好ましくない西側の情報をフェイクであるといい、サイト上の書き込みなど削除または遮断をしている。

「正しい」ことでも「事実」でも、都合の悪いことは隠す、国民に知らせない、これが国家にとっては「正しい」情報ということになる。

巡洋艦モスクワはウクライナのミサイル攻撃で沈没したのではなく、「弾薬庫が爆発し、荒天の中曳航されているときに沈んだ」という。ロシアの巡洋艦は天候が悪いと沈没するらしい。

民主主義がこわくてびくびくしている。嘘とごまかしのデパートの安倍や菅が退場してさいきん出る幕のなくなった「週刊新潮」と「週刊文春」はモスクワ支部と北京中心を設ければいい。

いろんな意見はあろうと思うがまっさきにロシアによる侵略であると断言し、経済制裁に動いた岸田首相と林外務大臣の行動を支持する。

むにゃむにゃして何がいいたいいんだかわからんぼやけた印象だった岸田くんの毅然とした態度。

(岸田くんはぼくと身長と体重がほとんど同じ。こんどぼくとあったとき、岸田くんはこんな感じか、と想像していただきたい。違うのはいっぽうは総理大臣、かたややさぐれぶんむくれぼやきおやじだこと。)

長門湯本の温泉宿でウラジミールに媚びをうって歓心を買うことしかできないおぼっちゃまは退場してもらいたい。

ガソリンや小麦が高騰するかもしれないが長引こうとも耐える覚悟はある。


戦史を調べれば調べるほどナチスの打倒に最も貢献したのはソビエト赤軍だったという結論に導かれる。

レーニンはスターリンの残虐性について早くから気がついていた。そして元首としてはふさわしくないといってはいたけど。

英米の映画で描かれるドイツとの戦いはあたかもナチスを殲滅したのはアメリカを中心とした連合軍だと思わせる。その頂点に立つのがノルマンディー上陸作戦で「史上最大の作戦」であったと信じて疑わなかった。

学生の頃はナチスの打倒貢献割合はざっくり連合軍7ソ連3くらいかと思っていた。

しかし、その後の研究の結果、いまは具体的な根拠もないながらその戦闘の経過、被害などからソ連の貢献度合いは逆転しソ連6連合軍4くらいではなかったかと思えるようになった。

それくらい独ソ戦は激しいものだった。

われわれ西側の情報のみで育ったから仕方なかったかもしれないし、8月9日というわれわれ日本人のこころに永遠にすりこまれたソ連への嫌悪感と不信感があって認めたくなかったのかもしれない。


「もうあの日には帰れない」

大正15年生まれの父は陸軍二等兵として終戦間際に18か19で出征し中国大陸で戦った。

ほかの兵隊がそうであったように父は戦いについて聞きだそうとしてくいさがってもほとんど語ることはなかった。


ただ戦争責任については「日本陸軍による暴走だった」といっていた。

昭和天皇の戦争責任は「陸軍にひきずられた」という意味のことをいっていた。

その認識はただしいと思える。

ノモンハン事件の前から関東軍は天皇の意向を無視して中国で暴れた。

さいさんにわたり越境して戦闘を繰り返す軍部に対し注意している。


ノモンハンは日本軍のぼろ負けみたいなことがいわれているが、ソ連も大損害を受けている。

作戦を指揮したジューコフはノモンハンでの武力衝突について「独ソ戦の戦いよりも恐ろしかった」と述べている。

昭和天皇はしきりに「それで国民のきもちがはおさまるのだろうか」と臣民の様子を気にかけていたのだ。


あの戦争を「日本陸軍による暴走だった」とかたづけていいのだろうか。

日本国民、民衆、大衆も熱にうかされていた。

「西欧列強からの中国の解放」「英米なにするものぞ」「八紘一宇」の名のもとに戦いを正義の戦いであると信じ熱狂していたし新聞もそれをあおりに煽った。

「日清戦争」「日露戦争」の勝利が英米とていくさはやってみないとわからない、こんどの戦争での勝利は無理かもしれないが懲らしめて(膺懲して)「講和を結ぶ」ことはできるだろうと。このふたつの勝ち戦は国を廃墟に至らしめた遠因となった。


熱狂した国民が日本陸軍に思いを託し陸軍は国民の期待を背負い中国に深入りしていったということだから「陸軍にひきずられた」ともいえるが暴走するかもしれない陸軍を神輿に乗せたのはほかならぬ一般大衆、日本国民であったのは間違いない、というのがわたしの結論である。

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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