鋤田正義 東京新聞 2022/5/14

産炭地としてかつて賑わった筑豊直方から世界的な写真家が生まれた。

商店街が交差し延々と続くこのまちにかつての繁栄の面影はまるでなくひっそりとした商店街はまるで錆びついているかのようだ。


しかしこの記事で鋤田さんがあのデビッドボウイがマイスターと仰ぐ世界的なフォトグラファーだったことを知る。

わたしたちが幼いころの昭和30年代、石炭を満載した貨車を蒸気機関車が積出港の若松に向けて引っ張っていった。

小学校への通学路にあった筑豊本線の踏切で、いつ開くともしれない遮断機が下りているあいだの退屈しのぎに貨車を何両連結しているか数えながら貨車の隊列をながめていたものだ。貨車は何十両も延々と続いた。

直方の商店街はそのころから衰退に向けて転がろうとしていたけれどいまだ流通革命の波も押し寄せてなく賑わっていたのを思いだす。


鋤田さんのお父さんは中国戦線で従軍中の8月17日(降伏後)に命を落としている。

お化粧品などを扱う商店を切り盛りしながら子供たちを育てたおかあさまの初盆の供養のための装束の写真。

阿波踊りもそうだけど編み笠を被った女性踊りではほんらい顔を見せない。死者を弔うため編み笠を目深に被り顔をすっぽり隠す。そしていくぶん目を落とす。笑顔などもってのほか。お盆に帰ってきた死者の霊の行進だからだ。黄泉の国から帰ってきた死者が目立ちたがりの新庄のように手を振ってにかにかしながらパレードするか?

ぎらついててかてかした、たらこ唇の顔を丸出しして、大口あけてつくり笑顔いっぱいアイドルチームのような踊りはどうしたもんだろう。リオのカーニバルではあるまいし。

「踊り」とパレードとカーニバルがごっちゃになってるんじゃない?


編み笠の下にわずかにのぞく顔にこの女性の気品が透けて見える。

鋤田さんが母のもとに仕送りしたお金に死ぬまで手をつけなかったという。

筑豊の川筋の母親の、九州の女のなかに流れる意地と矜持はさもありなんという気がする。

幼いころからそんな働き者で気丈で男勝りのお母さんたちを見て育ったからだ。

福岡県出身のアイドルチームの娘がマシンガン片手に、

「福岡にくるときはこれを忘れないでね!」みたいなこといっていて、いやはや苦笑い。


さいきんTVを見なくなった理由の一つに番組の濫作ということもあるけど

関西芸人がバラエティーにかぎらずいたるところに登場しあの、ひとをおちょくって小ばかにしたしゃべくりばかりが目立つからで、絶えず目立とう、間を置かず人よりさきにしゃべりまくろうというがさつなせわしなさと品のなさに辟易している。

関西人てそんなん?気の毒になる。

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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