「願人坊主(がんにんぼうず)」江戸時代の芸人たち 2022/7/4

尾上松緑(初代)1744年生まれ 「法界坊」を演ずる。

「願人」とは社寺に人に代わってお参りすることを生業としている人たち(表向きは)ではあるけれど、「願人坊主」と呼ばれるひとたちは大道芸人のようなことをやって小銭を集めることを稼業としていた。

歌舞伎の「法界坊」がそう。

「釣鐘建立」と称してあるいは「阿呆陀羅経」というおふざけ芸(いまのラップミュージックにつながる)をやりながら貧しくも生計を立てていたなんともユーモラスでおよそ会社勤めはつとまらないような人々。

江戸時代の庶民の娯楽、暮らしは楽しそうで興味深い。

前澤さんと宇宙旅行するより「紙かつ」でビール飲みながらこんなはだか同然のふざけた大道芸人の口上を聴いていたい。

いま人気の尾上松也につながる家系。

彼のお母さんははちゃめちゃだけど、それがかえってよかったのかも。でも、太らないでね。

「天井桟敷の人々」(1945・原題【天国ー天井桟敷ーの子供たち】)という東京でいえば戦前の浅草の歓楽街にあるようなパリの庶民劇場を舞台にしたフランス映画があるけど、すぐに「よしもと新喜劇」はこの映画をベースにしたものだと思った。次から次へとかわりものが登場しすじがきをまぜこぜにしていく。一日の仕事に疲れた大衆には芸術作品よりお笑いどたばた芸のほうが疲れをいやすことができる。


観客の行儀もめっぽう悪い。当時ワインの屋外の立ち飲み屋もあって、自分で桶から柄杓でワインをすくって飲んでいるシーンも珍しかった。

「よしもと新喜劇」も時代時代の変化に応じて脚本も舞台構成もかわってきている。

Jーcomに「BSよしもと」というチャンネルがあって昭和の後期に放映された新喜劇を再放送している。

間合いをとってゆったりした舞台進行、そして軽妙洒脱さやおちゃらかを売り物にしてはいるけれどあいまあいまに大まじめな日本舞踊あり芸者ありで、時代劇の流れもくんでいる。

この「願人坊主」がひきつがれているのだろうか。

「阿呆陀羅経」転じて「あほんだら」で締めましょう。

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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