出入りしていた野良猫の「じじ」の子どもたち。
やしの実の繊維で編んだかごの中で。
安藤組のやくざ猫が徘徊するこのあたりではめずらしく「じじ」は野良のくせに野良になりきれていないひかえめでわけのありそうな黒猫だった。
そんな「じじ」が庭先にやってきたとき「いわし」の煮つけを薄味でつくってあげたら、小さな舌でぺろぺろ遠慮がちに食べはじめた。
そして、しばらくして2匹がこの世に生を受けた。
産まれたばかりの寝ている「ぽり」と「はな」を抱っこしようとすると「じじ」はとりあげられるのではないかと思ったらしく毛を逆立てて「フーッツ!」とぼくを威嚇した。
はじめてみる、子を守ろうとする母親の懸命な姿だった。
それから3匹は正式に盃を交わしうちの舎弟となった。
2匹の子猫はじゃれて、転がり、飛び上がり、爪でひっかきいたずらしながら家じゅうを走り回り大きくなっていった。
そのころの愛らしさだけで家族みんなを一生分笑顔にしてくれた、と思っている。
3匹はすぐに避妊手術をしたため、もう子猫とじゃれることもない。
おおらかでおっとりとしたぽりと違い「はな」は食卓のテーブルに飛び乗ったりして「鮭の塩焼き」をかじったりして、いつもぼくに怒られていた。
中森明菜ふうのやせっぽのスケバンでけんかもめっぽう強い。「わたしは泣いたことがない」といってにらみながら歌っていた。
「おまえにはどろぼう猫の血が流れている」とか「また、おまえか!」と非道の言葉をなげつけられて不良少女のような目で見られていた。
ぽりは毛なみがよくもふもふで抱っこするといつもいい匂いがした。
寝相の悪いぱぱよりままが好きで毎日ままのベッドであられもない姿でことこと寝ていた。
ぼくはいつもぽりをだっこしながら窓の外の景色をいっしょにながめて、その日の空の様子や出来事、ちいさかったときのことなんかいろんなことを話した。
こころして抱きあげないとよろけるくらいずっしり重いよくごはんを食べるどすこいねこだった。
それがうそのようにソファーの奥で横になったまま水も飲めなくなったいま、やせてすっかり軽くなってしまった。
もう、なでてよとせがまれてもなでてやれないし、ほおずりしてあげることもできない。
単身生活で5年も家を空けてごめんね。
おもえばぽりは17年間いちども悪いことはしなかった。
ただ、一度だけ亡くなる前の8月23日に2階のベッドで寝ているぱぱの足の真上で水害級のおしっこをして、ベッドを粗大ごみ送りにしてくれたね。
あのときからしだいに弱ってきていった。
粗相ははじめてのことでびっくりして飛び起きたけどあのときぽりを叱らなくてほんとうによかったと思っている。
だから、ぽりは悪のぱぱとちがってきっとかならず天国に行ける。
うちにきてくれてほんとうにありがとう、大好きだったぽり。
ままにはないしょだけどぽりはぱぱのほうが好きだったことをわかっていたよ。
https://www.youtube.com/watch?v=vhxWKxsI5Ws