大分で用事をすませ、東京に帰るわけだけど北九州まで戻るのもしゃくだからと、目と鼻の先の四国経由にしよう。
本四連絡橋の西の「しまなみ街道」はすでに体験済みだから今度は真ん中の「瀬戸中央道」から倉敷(ほぼ岡山)に抜けよう。
フェリーの待ち時間に待合レストランで「くろめそば」をいただくことに。
佐賀関のフェリーの建物がリニューアルされていた。
「くろめ」というのは「こんぶがなにかのきっかけでわかめ化してしまった」海藻で、あるいは「あるときわかめがこんぶに恋をして結婚しでできたこども」と表現することもできる。
とはいえ「昆布」みたいだから細切りにしないととても食べられたもんじゃない。
おつゆの表面を厚くくまなく層になってぬるぬるが覆っている。
「ぬめり」が大好きな人にはたまらん。
ビジュアル的にみてもお蕎麦から主役の座を奪ってしまうほどたっぷり「くろめ」の世界にひたることができる。
事前に「関サバ関アジ」がいただけるとはきいていたけど、待合室じゃなぁ、もっと芋焼酎のロックでもいただきながらゆったりしみじみ味わうのがいい。
大分名物「とり天」だけでなくや愛媛の「じゃこ天」にも気を遣う。さらに宮崎の「チキン南蛮」まで用意している。
対岸の三崎港まで70分、5メートル未満の車と一人分の運賃を加えて1万200円。燃料費の高騰の中、会社もたいへんだろう。
「松山高速道」は伊予の山の斜面いっぱいにひろがるみかん畑を眺めながら走る。
そしてしばらく走ると眼下におだやかで人のよさそうな瀬戸内海がひろがる。
だから、ここで産まれて、こたつでおばあちゃんと一緒にみかん食べて育った人たちはきっとみんな温厚なんだろうな、と思った瞬間、広島カープの真っ赤な応援団や、へずまりゅう、村上海賊、なんかを思い出した。
松山自動車道から続く高松自動車道は北九州高速道路のように山の中腹を走るため、眺望がすばらしい。
石鎚山PAあたりでステイする。
夜明けのころに瀬戸大橋を通過することになった。
海峡部10キロに及ぶ連続する巨大な橋は世紀の偉業。
1988年の開通から35年経っている。
丸亀出身の本四公団の所長さんたちが道路と鉄道併用の世紀の難工事に10年かけて取り組んだ。
「足柄SA(松山自動車道)」の駅 ― 146