退職後つくづく行動範囲が狭くなったと思う。
在職時はまことにあちこち飛び回った。いろんな階層のとんでもない数のさまざまな人たちと出会ってきた。
発見があり、驚きがあり、毎日がその連続でスリリングでさえあった。
しかるに、自営業となったとはいえ、いまその範囲は限られている。
それが、退職後の普通のおっさんの姿かもしれない。そんなに汗をかいて飛び回る必要もなかろう。
ゆったり自分のペースで仕事をして毎日の暮らしを組み立てるのも悪くはないし恵まれているとは思う。
ただ、いままでできなかったこと、しなかったこと、気にはなっていたけど行動に移さなかったことを、拾い上げてみようかと思うようになった。
そこで、せっかく世界で指折りの都市東京区部に住んでいながら、もったいないんじゃね?と思える土地、場所、催し、などいっちょいっちょおさえていこうかと行動に出ることにする。
それは名所旧跡でなくても、人気の街ではなくてもよい。むしろ「東京の歩き方」なんかでとりあげられていないなんの変哲もない街がいい。
とはいえ、優先順位なく気ままに思いつくところに向かう。
今回は「歌舞伎」「能」に一歩踏み出してみる。
「せっかく東京に住んでいながらいったことのない見たことのない」シリーズ。
その道に詳しい友人にも話をきいてみた。「狂言」のほうがわかりやく、「能」はとにかく眠たくて無理、といっている。
「国立能楽堂」での公演を予約した。演目のことを「曲」という
演目は「鵺」(ぬえ)
「鵺とは、現実にはトラツグミという鳥のことを指します。能に出てくる鵺は、頭は猿、手足は虎、尻尾は蛇(平家物語では胴体が狸)という妖怪で、鳴く声がトラツグミに似ているから鵺と呼ばれたといいます。」以下のサイトより
能・演目事典:鵺:あらすじ・みどころ (the-noh.com)「
サイトが充実しており英語版での解説も用意してある。
「鵺」は正体不明なつかみどころのないやつ、みたいな使い方をしていた。
ほんとは「班女」(はんじょ)がよかったけどS席しか空席がなかった。
ある夏の日、遊女花子(はなご)はやってきた東国へ下る貴族の少将の相手をしたことから物語ははじまる。
そのしるしにとお互いが扇子を交換し、少将は去っていく。
それ以来花子はお客をとらずその扇子をながめてばかり暮らすようになる。
宿の女主人はそんな花子に困り果て宿から追い出してしまう。
入れ違いに東国からもどってきた少将は再び宿へやってきて、もし花子が帰ってきたら知らせるようにと言い残す。
苦しさのあまり狂女となった花子はさまよい歩き、たどりついた下賀茂神社で扇で舞っていた。
あの、交換した扇で。
そこに少将があらわれ再開を果たす。
そんな筋書きだけど、狂おしい女性の情念がこの演目の主題となっており、女性に人気があるのだという。
この扇子と秋になれば捨て置かれる自らの境遇を重ね合わせる。中国の故事「班女」に因む。
かざす角度によって、笑ったり、悲しんだりすると講習会で能楽師からきいたことがある。