土浦といえば霞ケ浦、霞ケ浦といえば「霞ケ浦海軍航空隊」、予科練こと「海軍飛行予科練習生」。特攻隊を含め戦死者が8割に達した14歳半から17歳までの搭乗員たち。
突然、成田線の起点の「我孫子」から「常磐線」に乗ってみたくなった。義父の里の「水戸」も脳裏をよぎったが何度も訪れているし、先輩のふるさとに寄ってみるのもよかっぺと降りてみる。
先輩と話しているといつのまにか茨城なまりがうつってしまい、しぜんと語尾があがってくる。
じつは「常磐線」で見てみたいものがあった。
夕刻の上野発の列車に乗ると、ほどなく「車内のボックス席で酒盛りがはじまる」という。
それも、仕事帰りの同僚たちと4人で、ではなく、会社の違う顔見知りのご常連さんによるプチ宴会で、車内はたちまちさきいかとワンカップのにおい、そしてあちこちで喧騒につつまれる、というもの。
ご存じと思うが、いまJRの車体はおんぼろでなく、ぴかぴかのこぎれいな車体に入れ替わっていて、そもそも快速列車にも「ボックス席」というのがなくなっている。
あまり出世に縁のないサラリーマンたちの大衆酒場電車をいちど見てみたかった。
通勤が苦にならない、どころか一日を終えて疲れを癒す、酒盛り電車。ぜいたくではないか。
それを、諸先輩に許されたささやかな楽しみを奪うとはなにごとか。
その町の顔であるはずの土浦駅前は市役所やなんかの関連施設が大きな顔をしている。
へんなまちだ。
そしてここにも、駅前廃墟がある。
「モール505」というサブマリン707のような3階建てショッピングモール。
老朽化したのと幹線道路の破壊神のせいかほとんどが空室、あるいは倉庫という名の空き家で、道行く人に声をかけて様子をうかがおうかと思っても道行く人がいない。
常磐線は横須賀線と乗り入れしていて、本来の「上野」ではなく、東京駅や品川、はては三浦半島「久里浜」行きなんてのもある。
沿線の南千住は「小塚原」の処刑場跡地があって常磐線の工事の時人骨がようけ出てきた。どこを掘っても「骨」がでてくるといわれている。
途中下車して「コツ通り(山谷通り)」を歩くのもいいかなと思いつつ下車せず。
それが海側はいまじゃタワマンだらけ。
霞ケ浦海軍航空隊の記念館に行こうにも車でないとちょっと。
車窓のなつかしい景色はともかく今回の目的地選定の失敗を素直に認めて、不完全燃焼のまま、聖地「赤羽」に向かい仕上げをする。