「神功皇后(じんぐうこうごう)」と皇后崎

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北九州市八幡西区の「皇后崎」の地名の由来となった石碑。

国道3号線の黒崎と陣原のあいだにあります。

昭和9年建立とあり刻まれた文字が判読できません。

「史跡 皇后崎 神功皇后御西征之時・・・」

新羅征伐のあった西暦360年頃に皇后は第14代仲哀天皇とともにこの地に上陸し、帆柱山から切り出した大木で船をつくる。

当初は「西征」西方を征伐するためであったが、なにもない西方の地より金銀のある新羅を征服したほうがいいとなり、新羅では「戦わずして新羅は降伏した」とされる。

昭和9年建立の意味は昭和6年の満州事変、同12年の日華事変のさなか、軍部の中国大陸侵攻方針のもと戦いの神である神功皇后の功績を称えようとしたところにあるのであろう。

シャーマンで猛女神功皇后は海の民で航海術にたけた宗像氏とともに、古代の日本海の荒波を航海したわけだ。

その子である応神天皇、さらに続く仁徳天皇の時代は古墳時代でもあり、北九州には墳墓が多くみられる。

2017.1.20

 

 

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作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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