海というより湖のように波のない初夏の別府湾の海面。小倉からJR九州日豊線、特急ソニックに乗って別府に向かう。中津、宇佐を過ぎ、そして川あり山あり、田んぼありの日本の原風景そのままの山鹿の里山を越えると、かすんだ別府湾がぼーっと目の前に静かに拡がる。大きく湾曲したその景色は幼いころの夏休みの出雲から松江に向かう特急まつかぜの車窓から眺めた宍道湖とやさしく重なる。
祖父母たちの待つ松江で過ごした夏休みの思い出。小倉からは山陰本線で特急でも6時間くらいかかっていた。日本海の海岸線と山の合間をなぞるように走る。いくら美しくても、長門市を過ぎるころからもう山と海ばかりの景色にいいかげんに飽きてしまった子供の私たちはボックスシートで退屈に体をよじらせ、悶々としていた。
好奇心の塊の小学生は列車内の狭く「退屈」な空間に耐えられるようにはできていない。その頭の中の人生の思い出を書き込むフォルダーにはまだデータがどれほども保存されておらず、これから先、色とりどりのデータが書き込まれるのを待つばかりである。その記憶の引き出しを開けては閉じて思い出し、あのときの自分を、叱ったり褒めたり、反省したり、にやけたりため息をついたり、という楽しみ方が電車内の単調な景色の連続であってもできるようになるまでにはもっともっと年齢を重ねる必要があった。
そして出雲を出て、斐伊川の八岐大蛇がのたうったような茶色の流れを眺めながら鉄橋を渡ってしばらく走ると、斐伊川が切れた先のむこうのかすんだ先に水面がぼーっと見えてきて、しだいに大きな海のような湖となって、宍道湖が現れる。
私と妹はたまらず「うわーっ!」と声をあげる。そして特急と競うように山陰本線と並行して国道9号線を走るトラックに向かって、嬉しさのあまり「おーぃ!」と大声で叫んで手を振っていた。すると運転していた制服の若いおにいさんが小さな歓声に手を大きく振って笑顔を返してくれたのだった。
祖父母と同居していたおじさんやいとこたち。松江駅のすぐ近くの大きな家の部屋に蚊帳を吊ってみんなで寝て、四谷怪談や牡丹灯籠、耳なし芳一などのお盆向けの映画を見て怖くなり、蚊帳から出てトイレにいけなくなったりしたものだ。蚊取り線香の香り。縁側で線香花火をして、ぶるぶる震える火の玉が妹の足に落ちてやけどをしたこともあった。庭で蝉をとったり、夕方には水を撒くのが日課だった。島根半島の北の澄んだ美しい海での海水浴、宍道湖の湖上打ち上げ花火の水郷祭、金魚のような浴衣を着た妹たちとでかけた夏祭りの夜店、縁側でかぶりついた真っ赤なスイカ。夏休みの宿題のことはおろか、一学期に勉強したこともすっかり忘れて頭がからっぽになるくらい、遊んでいた。
思えば、小学生4年生、1966年、昭和41年からの夏休みの毎年わずか2週間ほどずつではあったけれども、人生で一番楽しくキラキラきらめく夏休みだった。小学生はみな、あのころの私たちと同じような夏をすごせればいいのに、と心から思う。子供には勉強だけではなく頭をすっからかんのからっぽにして遊ぶ時期も必要だ。私の子供たちにも私たちがしてもらったような思い出をつくってあげようと、毎年せっせと伊豆の海やスキーや、八ヶ岳の山荘暮らしにでかけたが、私が受けたほど強烈な色彩を心に刻めたどうかはわからない。
別府湾の朝日 2017.4.23 5:45
読み進めながらウンウンと頷いていました。
私が降りるのは松江よりもずっと手前の大田市でしたがあの海をずっと眺めていても飽きることがありませんでした。
もう5年位前になるでしょうか❓
国交省が指定した「とるぱ」で日本で1番夕日の綺麗な場所に五十猛が選ばれました。
日本海の雄大な景色が選ばれたんです。
地味だけど人は謙虚で優しい。
島根って本当に良い所ですよね。
五十猛は神話の世界、森の神様ですね。まめたんさんはもしかしてその化身?日本海の夕日はうっとりしてしまうほど美しいですね。島根県人は素朴ないい人が確かに多いとは思いますが、出雲地方の人は私のように陰湿、閉鎖的な人も見受けられますよ。