2018年6月6日

Shinjuku 2018.6.5

長年にわたる定点観測の結果、新宿西口「(しょんべん横丁改め)思い出横丁」のお店に入って飲食するかどうかはともかく通り抜ける客は外国人のほうが上回っていると思われることが判明した。そして、おやじの「思い出遺産」としての登録が決まった。

もう停電したり、ネズミが走り回ったりはしていないようす。

彼らはここが焼け野原だった戦後の、テキヤ(露天商)の親分の安田組が仕切る闇市の跡地だことを知っているのだろうか。5、6人が入ればいっぱいのカウンターだけの焼き鳥屋に何がおもしろくて窮屈そうに座っているのだろうか。


そういうおやじも昭和の焼け跡が恋しくなると中華の「岐阜屋」にやってくる。28歳のとき、住友三角ビルの地下にあった「Do Sports Plaza」で仕事帰りに汗を流した後に汗をビールで補充するために通うようになってからのなじみ。当時はこの横丁一帯は「新宿ゴールデン街同様、いまにも酔いつぶれた客のけんかがはじまりそうな殺気があった。健康的な汗を流した後のほどよい疲れとすさんだ場末の雰囲気との対比が心地よく、落ち着けた。いまでも昼間から飲んだくれて寝ているおとっつぁんも見かけるがお店のスタッフはご常連だからかやさしく見守っている。


もうひとつ、新宿駅の西口には穴場があって、JRの改札を出て地下鉄丸ノ内線に向かうすぐの階段を上がったところに中二階のような小さな食事処がある。「新宿メトロ食堂街」。てんぷらの「つな八」や「肉の万世」、蕎麦の「長坂更科」などがある。この蕎麦屋が実は涙もので、無性に蕎麦が食べたくなったとき飛び込んだ。おやじにとって蕎麦は禁断症状がでる食べ物で、5年のうどん王国の北九州生活は忍耐と苦渋の日々であった。(小倉井筒屋レストラン街に「長坂更科」の店があるのを定年退職後に知った。)

うれしい立ち食い。麻布十番にある本店の出店に立ち食いコーナーがくっついている。「豚天」「春菊天」が人気。さいころ状にぶつ切りした豚肉の弾けるもちもち感がいい。ねぎはお好みで入れ放題。テーブル席、立ち食いどちらの店で食べてもいいのだけれど客筋があきらかに違うのに気づく。椅子席はおばちゃまと落ち着いた初老の紳士風。同じ初老でも落ち着きのないおやじは「蕎麦はじっくり食べるものではないと」思っており、この立ち食いコーナーにあえてやってくる客は「蕎麦がただの食べ物でないと気がついてしまったひとたち」と断言してはばからない。

ここの食堂街はなぜか外国人に荒らされていない。


思えば横浜の大学生だったのにいつも新宿に遠征していた。三丁目にあった劇団員や役者の卵たちがたむろしていた(ていうかスタッフが役者修行中の人たちだった)「がんばるにゃん」とか「海賊」とかのスナックに出入りして。お店には俳優もきていた。「仁義なき戦い」悪役一筋の室田日出夫さんが帽子の似合う綺麗な女性ときていたこともあった。あの強面に目をむいて話しかけられると縮みあがった。(肺がんのため64歳で死去)俳優になると悪役であろうとピラニアと呼ばれようとこんな美しい人とふたりで飲めるんだと羨ましく思ったものだ。伝説の「どん底」の系列店だった「がんばるにゃん」。1976年前後、おりしも当時は歌舞伎町のディスコもサタデーナイトフィーバーの全盛期。新宿の懐の深さにはおそれいるばかり。

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