道の駅ー23 伊賀の里


車中泊もその後別府、岡崎などで回数を重ね、23泊目となる本日は諏訪から三重県の伊賀をめざす。車中泊は連泊ではなく途中まっとうな宿(?)をからめて練り歩く、というのが経験上豊かな旅となるスタイルなのではと思う。


諏訪湖のほとりにある老舗旅館「油や」は歴史のある日本旅館だが、経営戦略上の諸問題からかあの「伊藤園グループ」の軍門に下った。配下になったその改装直後にお世話になる。伊藤園さんの国盗り物語がなければこれから先この宿にお泊りすることはなかったであろうことを思うと伊藤園さんには私も「油や」さんも感謝するほかあるまい。

さて、「すべてが山の中」の信州路にあって突然目の前にひろがる諏訪湖の湖水はほっとする風景である。とくに乾いて寒々しい荒涼とした山々の景色が続く冬場には嬉しい。


冬場にはどこのコンビニにもおでんの鍋がおいてあり、やさしく湯気が立ち上っている。お店に入るとまず「ふわっと」目であったかくなる。これはコンビニ各社がいきついたほっこりする冬仕様の仕掛け。

車から降りて「あーっ、さぶっ」といいながら、手をこすりながらお店に入る。そこに湯気が見える。するとあったかいやさしいおばあちゃんの家に帰ってきたようで心が和む。だいこんのおばあちゃんが「おかえり」ってほほえむ。「よく虫が鍋に落ちる」「ドアが開くたびに鍋はほこりをかぶる」という理由で蓋のない鍋のコンビニおでんを私は敬遠している(だったら「茅乃舎のあごだし」で自分でつくったほうがいい)が、冬場の仕掛けとしてあえてレジのまんまえにおくのは十分に効果的で独身者、単身赴任者、家族があっても隙間風が吹いている男たちなどはこのギミックにいちころであろう。

今年は氷結し「御神渡り」はできそうだね。


中央高速で名古屋を経由し名阪自動車道を走る。わけあって亀山インターを下り(ネクスコ西日本の中国地方高速道路3日間乗り放題パスを利用するため)いったん三重県伊賀の里で車中泊し、未明に新名神高速甲賀土山インターを通過したことをETCに記録させ鳥取県米子に向かう。

東京と北九州の往復はいつも快適なドライブを楽しめる新東名、新名神経由と決めている。そのさい、なぜいつも亀山、鈴鹿、四日市付近は大渋滞するのだろうと浅はかにも思っていた。要するにこの名阪国道は東京、名古屋から大阪への物流の大動脈でトラック野郎たちは名神、新名神高速を使わず無料の名阪国道を走り大阪へ向かうのだ、ということがわかった。福岡、北九州間の国道3号線バイパスにあたる。

高速道路の料金は運送会社にとって大きな負担だ。

名阪国道は昭和40年に開通した亀山から奈良天理までの延長73キロの物流のための無料の準高速道路、特例自動車専用道路。当時の河野一郎建設大臣(あの現在の外務大臣河野太郎の祖父)がかかわった大事業。河野一郎氏なら記者会見のさいメディアの記者からの質問に「はい、次の質問」とかいって無視せずきちんと答えたはずだ)無料化を条件にした土地買収で建設された。


それから53年が経過し、道路も施設も老朽化している。有料高速道路のSAのように整備も行き届かず道の駅はさびしげだがドライバーにとって必要最小限のものは揃っている。こてこて集客にあの手この手で目の色変えなくてもごちそうもスイーツもいらないトラック野郎にはそれでいいのではないか。


漁師が命がけ漁にでて網からあげた魚、農家が大切に育てた作物、工場で汗を流して製造した機械、これらをまたドライバーみんながそれこそ命がけで日本全国すみずみに届けているということを車中泊生活野郎になって実感した。

だから、おやじは深夜早朝区別なく突っ走るトラック、トレーラーのドライバーに敬意をもつようになった。おいしいごちそうなど食べてはいない。ビールものめない。路上ではいつ何が起きるかわからない。いつも妻や子供たちのことを思いながら安全運転しているはずだ。交通違反は彼らにとって命取りになる。

初めて車載のドイツ製のエアヒーターを使用する。エンジンを切ってスイッチを入れる。寝息を立てるような音とともに温風が助手席の下から吹き上がる。温度調節が細かく設定でき想像以上に快適で冬場のクルージングの大きな助っ人になる。


伊賀から山を挟んだ甲賀へ向かう

幼いときは忍者になりたかった。「伊賀の影丸」の影響で伊賀忍者に。そして「紫電改のタカ」で海軍の飛行機乗りになりたかった。

伊賀忍者と甲賀忍者の違い

伊賀と甲賀、隣町でありながらその組織は大きく違うという。


甲賀忍者は共同体で意思決定も多数決による民主主義的性格をもっていて、そしてスポンサーを絞っていた(親会社への正規社員),医療に精通していた(普段は薬屋として各地を回り諜報活動をしていた)、織田信長と親しい、豊臣秀吉に徳川家康を監視する任務を負わされる、


いっぽう

伊賀忍者は3つの家のドンたちにより支配され(服部、百地、藤林家)、求めがあれば敵味方の区別なく忍者を派遣していた(人事派遣業)、催眠術手品呪術火薬にたけていた、信長とは険悪な関係、その後江戸幕府に組み込まれ島原の乱やペリーの来航の偵察を行う、


なるほど

「伊賀の影丸」はこれで読み解けますね。

2018.12.13

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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