居酒屋の駅ー37~瀬戸内しまなみ街道 道の駅「よしうみいきいき館」(今治)39

八幡西区「焼き鳥」居酒屋の駅-37

北九州のソウルフードは新鮮な魚介に隠れてしまってはいるが「うどん」と「焼き鳥」だ。とくに焼き鳥は市内のどこの店にはいっても冷凍品など使わず、どれもたれでなく塩でいける逸品でしかも驚くほど安い。

今宵は車を連れの契約駐車場に置かせてもらうことになったため、帰らなくていいと安心したのか調子に乗って焼酎「黒霧島」をロックでぐいぐいやっていたら珍しく酔った。ひさびさの、4年ぶりくらいの醜態泥酔おやじ。みっともない。

2019.4.16


別府の介護施設の駅ー38

91歳になるおっかあの見舞い。骨折、誤嚥性肺炎で入退院しもうだめかと思ったこと再三で、そのたび昭和2年生まれの生命力で復活し甦っている。

「今年が母と一緒に過ごす最後の正月となるかもしれない」と親戚に電話したことを悔いた。めったなことをいうもんじゃない。

復活したばあやはイケメン介護士の中村さんを巡って若いおばあちゃんと取り合いをしていた。どうしたいか?と尋ねると「自分のものにしたい」という。勝ち目はあるかと訊くと「五分五分」という。

2019.4.18


瀬戸内しまなみ街道 道の駅「よしうみいきいき館」(今治)39 2019.4.19

今回の東京行きはまず大分佐賀関からでているフェリーで四国に渡り、しまない海道の島伝いで松山~今治~尾道に抜けるコースを選んだ。

フェリーは1時間に一本でており始発便は朝7時に出港する。

佐賀関から四国愛媛の三崎港まで所要わずか70分で片道運賃は8270円。佐賀関と佐多岬の突端同士は直線距離で13キロほどしかない。瀬戸内から太平洋へでるには狭い海峡のここを、日本海へは難所の関門海峡を通ることになる。

フェリーは車をぎちぎちに詰めて載せる。乗員が誘導するのだがぶつかっても知らんけんね、というくらい数十センチの隙間になるまでくっつかさせられる。


出港後、漁船が群れる海域を通る。関アジ関サバの漁場なんだろうねえ。私にもちょうだいな。

そして佐多岬の灯台。


この先に伊方原発があるはずだがロードマップには不思議なことに何も表示がない。住民の建設反対運動、付近への米軍機の墜落事故、海底の活断層の存在、、、地図から消されていることが意図的であることは明らかで原発と電力会社への不信感がさらに増す。


8時10分きっかりに接岸し三崎港に「上陸」するといたるところに「じゃこ天」の文字が躍っている。するとたちまち頭の中がじゃこ天に占領された。おなかがすいていたからか道路標識に「八幡浜」の文字が見えたとき思いは頂点に達した。


ところが朝まだ早く店が開いていないのとこのあたりは秘境絶景ポイントの連続でいけどもいけども店がない。もう、松山までいくしかないとなげやりになって諦めかけていたそのとき、

「道の駅ふたみ」がおいでおいでしていた。

道の駅評論家のおやじにとってはなんてことのない駅ではあったが、とぼとぼ歩いて奥まで行くと、

白い割烹着のばさまがうじゃうじゃいるかまぼこやがあって、そこでは練り物を型に詰めてその場で揚げて食べさせてくれるコーナーがあったのだ。

おばちゃんは「揚げてあげようか?」ときいてきた。おやじの表情にあわれさ、鬼気迫るものがあったのだろう。ぼくは迷わず「うん!」といった。鍋の中に投入されたすり身がじゅわじゅわ「じゃこ天」になっていくさまを子供のような無邪気で曇りのない目でしばらく見つめていた。幼いころ10円玉持ってたこ焼き屋さんにいったよい子だったときのことを思い出した。

ふかふかでもちもち、小骨がじゃりじゃりしていて、熱いのではふはふしながらかじる。

ひきちぎる、噛み切るに近いライオン風の食べ方になる。一本130円の至福。じゃこ天史上初めての体験。東京のスーパーでもよく八幡浜のを買って四国を思いながらビールのつまみにしているのだがそれはせんべい布団みたいにぺったんこで薄い。


ここのはでんぷんなどの混ぜ物は5%以内とあって、一般的には小魚のあじ、たちうお、じゃこではあるが、ここ双海町のは、「エソ、グチ、トラハゼなど底引きであがった8~9種類ほどの地魚を使用し」とあり、素材からして違い、すり身のうまさが塩気とともに口の中に押し寄せる。きつね色ではなく「灰色」が正統であることの証。


原発への不信感とじゃこ天にありつけるのに1時間も待たされたことへの恨みも忘れていい気分になった。いい気分になるのには、その前に不機嫌や挫折、失望が必要だ。「嬉しさ倍増の法則」という。

ここの浜は夕日の美しさでも有名とか。

さすが伊予の国はかんきつ王国で売店はいよかん色、あまなつ色、きよみ色、デコポン色、オレンジ色(あたりまえだが)に染まっている


そして、海沿いを走り本日の目的地、今治に向かう。向かうが途中にはまだ、関所が待ち受けている。

「道の駅ふわり」だ。

居心地のよさげな駅で、じっさい笑顔がさわやかな売店の柑橘系のお姉さんあり、海鮮丼レストランありでそのふわり館に魂を奪われたぼくはまだ昼前だというのに自宅のかあちゃんに「今日はここでステイする」とラインしたほどだ。

おっかあはそのラインに「やさしそうなとこね」と返信してきた。いかにもゆるい夫婦であることがわかる。


魔法が切れたころわれに返り、しまなみ海道の今治の対岸の島、大島の道の駅「よしうみいきいき館」に向かった。

来島海峡大橋は巨大で瀬戸内の島々とともに美しいシルエットを描いている。

しかし、北九州の小学生のときに見た、街を支配するかのように赤くそびえる圧倒的な存在感の親分「若戸大橋」ほどの衝撃は受けなかった。しまなみ組のいくつもの橋は「子分が整列している」という感じだった



サイクリストたち多数と遭遇。若い女性も多い。70キロにも及ぶサイクリングロードは気持ちいいだろうなあ。

2019.4.19

 

 

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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