尾崎放哉「咳をしてもひとり」がコロナ感染防止キャンペーンに

種田山頭火とならび季語を入れない自由な俳句を残した

尾崎放哉

 

代表作咳をしても一人がこのたびコロナ感染防止キャンペンーンのキャッチフレーズとなった。


この句のたった7文字に漂う孤独感、寂寥感、疎外感、無力感、閉塞感が「密集、人との接触を避ける」などの政府自治体の推奨する方針に沿うとしてはたぼー官房長官が決定した。


この句に込められているのは「コロナに感染した自分は人と会いにいくことも、人が訪ねてくる予定もなく、ただ居宅で静かに過ごすしかない」という病に向き合う姿勢で、この句を思いついたのは志村けんの感染死と石田純一が外出禁止が求められる中、妻の東尾理子が止めるのも聞かず沖縄にいって感染してしまったことがきっかけだった。

病室の石田純一がもはやただのじじいだったことも印象付けた。


小池都知事の緊急記者会見のひきつり般若顔も怖かったが志村けんのあっという間の感染死のほうがコロナウイルスの脅威を知らしめるのに効果的だった。


高校生の時に現代国語の授業のさい、友人と「これが代表作になるくらいならわしでも俳人になれる」と私は豪語しさんざん放哉を笑いものにしこけにしたものだ。

「ごはん食べても一人」

「教室にはわたし一人」

「家に帰っても一人」


いわゆる「ひとり三部作」をそのとき残している。高校1年のとき同級生の福永君とじゃれて詠んだもので、高校に入ったものの成績が芳しくなくその挫折感すら行間ににじんでいる。


種田山頭火もいっちゃってるやつだったが放哉も負けず劣らずの変わり者で周囲の評判はすこぶる悪い。

いわく「大酒のみで飲むと暴れる」「東大法学部出を鼻にかける」、「金をせびる」、評伝を書いたライターをして「生きていたらこんな人とはつきあわない」といわしめている。


種田山頭火は山口防府の出身で家業の破産が放浪のきっかけとなっているが鳥取出身の放哉は生命保険会社の支店長をやっていながら突然世俗を捨てている。

いまこそ放哉の先見性、普遍性に注目すべきである!


コロナ対策に次の句も残している。

こんなよい月を一人で見て寝る

一人の道が暮れて来た

 

2020/4/23

 

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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