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「日本映画発達史」田中純一郎氏について


昭和50年に新資料をもとに改版された文庫版の著者によるあとがきに次のようなくだりがある。

私が映画の魅力にとりつかれるようになったのは、上京して神田の中学に通う頃で、(略) 私は中学を出たら映画会社に入りたいといった。 私の家の祖父は、一代で産を作った堅人だから、活動の仕事といえば旅興行のテキ屋くらいにしか思っていないので、私の申し出を聞くと激怒して、「活動などはやくざもののやる仕事だ」「お前には魔がついたのだ」といって、学業半ばの私を、日本橋の糸屋に預けた。 私は店の主人が簿記の学校に通わせてくれるのをよいことにして、勉強にかこつけて、よく映画館に回った。映画雑誌にも投書した。(略) 大正8年暮れのスペイン感冒で、私は死ぬような病気をした。そのころから、趣味としてならいいということで、私のわがままも聞いてもらえるようになった。

大正8年暮れのスペイン感冒がこの力作への階段を登らせたのは間違いない。

100年後の今回のコロナ騒ぎの巣ごもり生活が人々に何をもたらすか、生活に変化を与えるか、与えたか。


もうすぐ1年になろうかという感染への対策生活は少なからず私の生活にも影響を与え、よけいなもの、不要なものをとりのぞいた、よりシンプルな暮らしに、毎日にかわった。そんな気がする。

2020/1/4

 

 

 

 

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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