甲府から富士川に沿って下る国道52号線の道は山梨と静岡をつなぐ幹線道路で古来からの水運とともに物流の大動脈であったろう。
大河で鳴らす富士川も冬枯れで水流もちょぼちょぼ。横綱富士川のおやぶんは負けず嫌いなのかくやしそうに「わしも本気出したらこんなもんやないけね。その気になったら濁流で流域ぜんぶ飲み込むことができるけんね」といっている。流域には花火製造で有名な市川大門を擁する。
中央高速と東名高速を繋ぐ横断道路の建設が進んでおり全面開通までもうひといき。それにあわせて数年前新しい道の駅「なんぶ」が開業した。
甲府は人口当たりの寿司店が日本一を争うほどのお寿し大好き町である。52号線の終点は興津でわたしが初めて仕事で泊つきの出張をしたところで製茶工場だった。
道の駅「なんぶ」の売りは静岡の新鮮な魚とフルーツ、そして「南部茶」。
歴史は古く平安時代から寒暖差の激しいこの地はお茶の産地であったとか。幕末に江戸から国元である駿府に戻った家臣たちが開墾した牧の原台地とは違うのだ。
この道の駅で特筆すべきは売店の主力商品がフルーツとお酒類であることで、甲州ワイン、白州産の日本酒が堂々と売られており「道の駅評論家」はたぼーもこれほど酒が並んでいる道の駅は見たことがない。やってくるのはみな車利用であるからして飲酒運手にならないようにSA、道の駅ともに通常お酒は置いていない。だからぼくは車中泊のさいは飲みすぎにならないくらいのビールをあらかじめ車に積んでおく。
さらに道の駅の階段を降りるとまちのホットステーションのローソンがあって、ビールやおつまみ、おにぎりなんでもこいだ。
おまけにこの道の駅には当地の中世の豪族「南部氏」の展示コーナーがある。
南部鉄器で知られる青森、岩手にまたがる南部藩のルーツはここであることをはじめて知った。
お付き合いした青森県人によれば青森は弘前津軽藩であるか八戸南部藩であるかでまったく異なる。
加賀美氏(茶色)は日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の敷地を提供した豪族である。
そう、この道の駅は「歴史がお勉強ができる、ためになる」道の駅でもある。
おまけに、展示室の入口には建設会社の会長のようなおやっさんが控えていて(待ち構えていて)、興味をもったお客さんがふらっと入ってくると待ってましたとばかり立ち上がりガイドに変身する。
すごみの効いただみ声で、当地を支配していた南部氏がいかにすごい豪族であったか、頼みもしないのに説明してくれるのであった。
ようするに、南部氏は源氏と武田氏に連なる家柄であり、幕府や朝廷に功績を認められ、そしてのちに南部藩のもとになる広大な領地を与えられるという歴史を2羽の鳥を急所を外し射止めたという故事をまじえてお話してくれる。
ガイドの訓練を受けていないからか、説明は乱暴で巧みではないうえに歳をとりすぎたからなのか、とくに奥州の安藤氏を秋田戦争で滅ぼしたことを認められた、弓の名人であったことなどの同じ話を3度も4度もされ、耳タコになってしまうがそのふるさと愛に圧倒される。
もともとこの地は渡来人によって牧場として開墾された。米のできない荒れ地であったが馬の足腰を鍛えることができた。
武田信玄は中央アジアの騎馬民族の末裔ではないかという説にいきついたことがある。でないと家康がもっとも恐れた最強の騎馬軍団の説明がつかないと。甲斐の国の頑丈で丈夫な馬の供給基地としてこの地の牧場はあったのではないか。古来種の日本馬はサラブレッドに比較すると一回りも二回りも小さくずんぐり体形のポニーのようで映画などの戦国時代の合戦シーンのサラブレッドとはまるで違う。
なんちゃって歴史家であるぼくの気になったのは、このくだり。
「幕府に返上」するなどありえるのだろうか。
しかも幕府から遠く離れた荒涼の地へ移るなど。
この八戸根城は全国500からする城塞のなかで難攻不落のお城ベストテンに入っているという。これもエンドレステープで何度も説明を受けたから忘れるわけがない。
古代、中世、近世を問わず「土地を離れる」というのは「追われる」「逃げる」ことと同義であると思っている。ユダヤの民や古代の大陸からの渡来人と同様に「追放」か迫害や戦乱からの「逃亡」でしかない。逃げて追われてやむを得ず新天地を求めて北上し、戦いにたけていたことから土着の豪族を滅ぼし土地を手に入れたというのがぼくの見立てである。
会長にはその違和感についてはあえて糺さなかった。なんの根拠もないからである。
そろそろ展示室を切り上げて売店にいってみようとしていたが会長はなかなか切り上げさせてくれなかった。
売店や飲食店の充実ばかりに目がいく道の駅にあってご当地の歴史コーナーは印象に残った。しかしながらこうした展示室は往々にして数年後色あせて閑散としてくる運命にあるのもまた事実である。
深夜の地震で練馬基地の航空機2機に損害発生。ふだん多少揺れても意に介さないぼくでも10年ぶりの本気の揺れで飛び起きた。パソコンからずり落ちたらプロペラと20ミリ機関砲をやられてたところだ。
まずは地震お見舞い申し上げます。
飛行機が壊れたとの事でコードネーム「R」くん可哀想と思ってましたら、じい様のでしたか。
あら~、寿命じゃないの⁉️
そして南部とまずはありましたので、地震のボランティアかと思いましたら、静岡県の南部!
全く知りませんでした。
こんな事って一般の歴史書には載ってないですもんね。
又一つ勉強になりました。
歴史は奥深いですね。