そして神田方面に向かうとあらゆる「楽器屋さん」が勢ぞろいしている。ギターをはじめ管楽器、はてはウクレレ専門店まである。
そして坂を下ると「明治大学」のエリアに入る。
「日本大学」などの私学も市ヶ谷エリアとあわせ集中しており、一帯は学生の街だった。
「だった」というのは、昭和40年代に荒れ狂った大学紛争で紛争の連鎖反応を恐れた大学側が八王子や川崎のまむしが降ってくるような山の中なんかに学部を分散移転させてしまった。
お茶の水の駅前には奇跡のような創業80年の街中華などが残っている。
坂の途中にはメンソレータムの本社「近江兄弟社」がある。一度倒産をしながらも再建している。
「兄弟」はキリスト教の布教を志す同志としての「ブラザー」の意味。
もっと坂を下りていくとぼく好みの怪しげなゾーンへと突入する。
なんと、「囲碁・将棋」の書籍専門店。なぜか「催眠術講座」もある。
奥が深い。
そして、妙に「明るく正しそうな」スナック。
「スナック」は絶滅品種かと思っていたら、堂々の「元気に営業中」
「あさこ」はパート2まである。
料金も明朗会計で、スナック「桜坂」は一択の福山雅治推し。
そのスナックのマスターは給料日に職場にやってきてつけで飲んだ分の集金をしていた。いまでは信じられない光景だった。
神田神保町あたりは古く歴史のある問屋街でもあったから、ぼったくりの店などあるはずもなくご常連さんが守る名店が残っているのだろう。