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かごんま出張

定年を間近に控えたタイミング,平成29年3月に鹿児島に出張することになった。これまで全国、出張でいろんなところにいったものだ。大阪は数知れず、札幌、函館、江差、青森、静岡、岐阜、京都、和歌山、広島、松山、博多、、、、きつい仕事のときもあったが、仕事を終え歓楽街繁華街で地元の名物を同僚と楽しむ、というのが出張の醍醐味であった。上司のうわさ話やここだけの話で盛り上がりながらサラリーマンもなかなかいいもんだ、としみじみ酒をくらっていた。それも、これでなくなると思うと、くしゅん、である。正確にはもう一度出張はあるが、出張先が東京なので、「地元の名物を味わう」もなにもない。実質、出張らしい出張は今回で打ち止め、これにて最後の取り組み、となる。鹿児島は実に25年ぶりで、そのときは知覧の特攻記念館の「三式戦闘機・飛燕」と英霊たちに敬礼するのが目的であった。

鹿児島といえば「天文館」、博多の中州、札幌のすすきの、でこの界隈の飲み屋の多いこと多いこと。いつものようにガイドブックに載っている名店はスルーして、自らのカンと嗅覚だけをたよりに飲み屋街を流して歩く。このカンをみがくためにわしは長年生きてきた、といってもいいすぎではない。もっと、仕事の技をみがけばよかったのだが、集中力はもっぱら飲食店の開拓に注がれた。本日はこの店でほぼ間違いなかろうと確信を持ってのれんを同僚とくぐったとたん、色紙が目に入った。高田純次のであった。「君はS?それともM?、僕はLだよ。」の高田純次である。複雑な期待と不安とともにカウンターへ。まず、注文すべきは地魚の刺身に決まっている。かごんま、といえば、きびなごとさつま揚げと、黒豚とこれまた決まっている。黒毛和牛も有名だが、ステーキハウスのショーケース越しに眺めたメニューを見て撤収を即座に決めた。迷いはなかった。きびなごは北九州でもいただけるが、そんなに騒ぐほどのものではない。

ところが、この店で騒いだ。盛り合わせではあきたらず、刺身とてんぷらを追加した。この小さくけなげですらあるきびなご、高級魚でもなんでもないのだが、いわしとあじと、さより、のいいとこを全部集めたようなほのかな上品な甘さがある。カウンターの目の前にはきびなごを開いたのがてんこもりのトレーがあって、料理長が注文があるたびにそこから取り出して盛り付ける。どんどん注文がはいるので、ひたむきに盛り付けをしている、いかにも料理人になるために生まれてきたような40台後半のおやっさんに、いちんちどれくらいでるんですか、と尋ねてみた。朝市場で仕入れて、400匹はさばきます、とのことで、めんどくさがりの私らは天を仰いだ。

えんぴつほどの小魚に包丁を入れるちまちました作業を、黙々と、ひたすら繰り返せるのは日本人ならではではないのか。アメリカ人やアフリカ諸国はもとより、二千年だか三千年の歴史だか知らんが中国の料理人でも耐えられないのではないのか。思わずとなりで焼酎を浴びるように飲んでいる部下のまぬけづらを見た。この部下の仕事ぶりが目の付けどころはいいし営業成績はそこそこいいのだが、めんどくさいこと、手のかかることが苦手でこれくらいでさっさと仕事を切り上げましょうという姿勢が常に見え隠れしているものだから、ついこの料理長のお顔が神々しく見えてしまったのだった。まるごといただく天ぷらもかよわい骨がやさしく、さくさくいただける。

黒豚のしゃぶしゃぶ、そしてとんかつは鹿児島を自慢げに語るためにぜひとも。

とんかつのおいしさはロースに限る。基本あぶらみの甘さにあると信じている。


そしてご当地ラーメン。還暦を迎え、ど豚骨ラーメンだと、胃に負担を感じるようになってしまったので、さっぱり鶏ガラベースの天文館「のり一」さんにごあいさつ。九州ラーメンの先入観をくつがえす、スーパーあっさりの澄んだスープ。飲み屋街の真っただ中、締めのラーメン屋さんにふさわしいやさしさ。店内は昭和そのもので、定番の町中華レッドの長いカウンター、椅子もおきまりの「食べ終わったらさっさと席をはずしたくなるチープな丸椅子」、「ラーメン専門店のり一」と染め抜かれたのれん、昭和好きにはたまらないアイテムが店内にある。ただひとつあるまじき誤算があった。「食券の券売機」がのれんをくぐったすぐ左の死角に置いてあるのだ。私たちはもちろん、数組の入店者も気づかずに奥をめざすものだから大将や昭和の割烹着の正統派おばあちゃんはいちいち食券お願いしますといわないといけない。ともあれ、もやしもしゃきしゃきして、いい。北九州にも欲しいなあ、あったらいいなこの店。

心ゆくまで「かごんま」を堪能しました。しかし、飲んで騒いで食べるばかりがおやじではない。きちんと訪れたご当地の歴史をひもとき、学び敬意を払う。大家さんである桜島さんにも、深々と頭を下げた。熊本の熊本城のように地元のシンボルであり、桜島の雄大な眺めは筋の入った男をつくり、たくましい女性を育てるのであろうか。


4年ほど前の横浜鶴見での勤務のさい、生麦事件の語り部となって講演活動をされている酒屋のご主人浅見武夫さんの講演を聴く機会があった。そのときお聞きした事件の一部始終を思い出しながら桜島を見上げていた。英国人リチャードソンが尊王攘夷の高まりのなか、島津久光の行列を乱し、薩摩藩士に殺傷された事件。犯人の引き渡しと賠償金を拒否した結果1863年に薩英戦争が起こり、当時登場したアームストロング砲で鹿児島が焼き払われる。その威力に驚いた日本は攘夷鎖国を捨て開国に向かうという事件のことに。小さな事件ではあったが、歴史的には大きな意味を持つ事件のことを。当時の英国議会では艦船による市街地の無差別砲撃ということで大きな問題となった、ことも教えていただいた。

2017.3

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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