「夢で逢えたら」大瀧詠一をカヴァー

あの名曲を80人以上のアーチストがカバーしている4枚組のソングブックが3月に発売されていた。うかつだった。特に鈴木雅之の熱い思いがこもっているアルバムで、ロングドライブの間中ずっと聴いていた。おそらく同じ曲ばかり100曲以上続けて聴いていた、というのははじめてだったが、歌い手によってこうも違うのかとうっとりとろけるような気持ちになった。心が溶けてやさしくなり、割り込みされようがあおり運転されようと赤信号だろうが渋滞だろうが気にならない。それぞれのアーティストのこの曲にかける思いが伝わってくる。


吉田美奈子のアルバムで聞いたのがはじめての出会いだった。1976年。それから歌い継がれて名曲中の名曲となった。最近のNHKの名番組「ソングス」で鈴木雅之と太田裕美がこの曲をデュエットしたとき鈴木は「名曲であるこの曲をずっと歌い継ぎます」とキリストの弟子の伝道師のようなことを言っていた。歌い継ぐ責務があるといわんばかりに。こいつ魂を奪われたなと確信した。このアルバムは大瀧の遺した名曲を伝えるために各地に散らばった伝道師たちの言行録であり、「新約聖書」にあたる。鈴木は一番弟子の「ペトロ」となる。キリストの真似をして水の上を歩き溺れそうになることのないようにしてほしい。教祖大瀧の歌声は力が抜けたささやきに聞こえる。アーチストそれぞれ歌い方があっていずれ宗派が「ネストリウス系」「プロテスタント」など分派する可能性もある。宗教戦争も起こり、十字軍の遠征もありうる。私は「太田裕美派」である。石川ひとみの「まちぶせ派」でもある。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」で魂を奪われてから飾りのないかわいさの、そして甘ったるくかすれる声の彼女にぞっこんだった。横浜金沢八景の大学祭のステージに彼女を呼んだ。1978年だったと思う。そのとき彼女は京浜急行の隣駅「金沢文庫」のことを話題にした。【小学生の時によくいいませんでした?「学級文庫」って。(口の両端をひとさし指でひっぱりながら!)】このアルバムでは太田はあろうことか歌詞の「素敵なことね」を「とても素敵ね」と間違えるは、歌いだしを早まるわだが、それも愛嬌。


薬師丸ひろ子、石川ひとみ、岩崎宏美、演歌歌手の香西かおり、などレーベルを超えてアルバムはつくられているが、彼女たちそれぞれの「あなたに夢で逢いたい」情念が込められていて別の曲にきこえる。歌っている、のではなく「詩っている」。うまいや下手とかではなく心がこもっていて酔いしれる。いつのまにか「私に夢で逢いあいたいと思っているのか」「そうか、そんなに想ってくれているんだ」と魔法にかけられてしまう。松崎しげるに「まぶたを閉じられ」ても困るが。心からこの曲を歌いたいと思っていることが伝わってくる。バラード、ポップス調、アップテンポ、ボサノバ風、どんな曲調にもあう。それが名曲たるゆえんである。

5年前の2013年の12月に「リンゴを食べているときのどに詰まらせて」に65歳で急死した。私は「ビールを飲んでいるときビールをのどに詰まらせて」急死したい。大瀧の最後の言葉は「ママ、ありがとう」だったらしいが「ビール、大好きだった、ありがとう」を辞世の句としたい。山下達郎とともに「ナイアガラ系」と呼ばれる。それが「渋谷系」アーチストに影響を与える。私の好きなピチカートファイブ、中田ヤスタカにも引き継がれているわけだ。

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還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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