とはいえ、このコロナ対策で通常数十人規模での開催のところ5人限定のミニミニ研修会となった。
今回巡るのは文京区小石川、茗荷谷エリア。
「武家地の面影を辿る」
ガイドリーダーの里見さんは昭和17年の下町生まれで「ひ」が「し」になってしまう江戸っ子でいながら威勢のよさは内に秘めたおだやかで謙虚な紳士である。
研修後、この方のように年を重ねたい、と思った。知的で紳士で連れ添った奥さまはさぞ幸せだろうなと。
地下鉄丸ノ内線の茗荷谷は池袋と後楽園のあいだの地味な駅でこれまでいちども降りたことのない駅で、この先降りることも降りるつもりもない駅でもあった。
大東京には40年外回りで都内各所を歩きまわったおいらであってもこんなうずもれた無縁駅は束にして掃いて捨てるほどある。
茗荷谷は駅を降りたとたん坂ばかりの武家屋敷跡とお寺だらけのまちだった。
2時間半のコースは徳川家関係の屋敷跡、かかわりの深いお寺を主にめぐる。
見ての通り古地図では白地(武家地)、赤枠(寺社)ばかりでグレイ(町民)は少ない。
いまでは跡地に拓殖大学などの学校が集まり、都心とは思えない閑静な住宅街となっている。
左の大きなお寺が浄土宗の伝通院で徳川家康のお母様の墓がある。
一般的には「でんつういん」と呼ばれているが「でんづういん」がただしい。
このあたりの町名の小日向も「こひなた」と読むが江戸古典落語などでは「おびなた」とあり、江戸っ子が「こしなた」となまらないようにとか諸説あるとのことだった。
禅寺深光寺の「しばられ地蔵」。
寺社奉行が町人たちの不満解消に地蔵を縛り、願いが叶ったらほどくようにしむけた、という。
本堂での座禅会が外国人に大人気らしい。
あちこちに文京区教育委員会による説明板がある。
切支丹屋敷跡もある。
あのスコセッシの映画「沈黙」でイッセー緒方が演じる宗門改役井上筑後守の屋敷で、「転んだ」(棄教した)バテレンを収容した牢屋と長屋。
新井白石がバテレンの知識を吸収するために宣教師シドッチを尋問したのもここでのことである。
太宰治の処女作「晩年」のなかの「地球図」でその様子が描かれており、そのシドッチは牢屋の看守夫婦に法を授けたことで獄舎につながれ牢死する。
「折檻されながらも日夜、長助、はるの名を呼びその信を固くして死ぬるとも志を変えるでない、と大きな声で叫んでいた」とある。
それが唯一逆に私からガイドリーダーの里見さんにお伝えできた話である。
平成26年跡地のマンション建設のさい、3体の遺骨が発掘され一体はシドッチのものと確認されている。
徳川慶喜終焉の地、永井荷風の生育地、三井財閥の本宅、善光寺月参堂、源覚寺こんにゃくえんま、で後楽園駅で解散となった。
こんにゃくえんまのお供え物はもちろん蒟蒻で(目の悪いおばあさんが眼病平癒のお礼に蒟蒻をお供えした)
お寺の関係者のおばさまが山積みになった蒟蒻をひとつひとつ手にして裏返していた。
「賞味期限」をチェックしていた、と踏んだ。
それにしてもそんなたくさん蒟蒻もってこられてどうするんだろうか。おでん屋にでもおろすのかなと思ってしまった。
本部の指示で研修後の飲み会も自粛。
定年後の職場以外の人との出会いはとてもうれしく楽しいものだ。自分が選んだコースの道すがらの出会いである。
善光寺月参堂の伏見稲荷風の鳥居はいかにも外国人受けしそう。
2020.11.20