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「ハクソー・リッジ」ふたたび

熾烈な沖縄戦のさなか信仰上の理由から武器を手にすることを拒否し、最前線で衛生兵として傷ついた敵味方兵士を助けることを自らの使命と悟ったデズモンド・ドスの実話がベースとなっている。メル・ギブソン監督。

圧倒的な戦力・物量をもって上陸してくる米軍と頑強に抵抗する日本軍守備隊との激戦がくりひろげられる。米国国防省が提供した写真を月刊沖縄社が1977年に発行した写真集がある。

その中に映画の舞台となった激戦地前田高地ではないだろうかという写真がある。67P「ネットを使って、そそり立つ岩山の絶壁をよじ登る米第307歩兵隊」と紹介されている。

この崖をよじ登った海兵隊員を待っていたのは地下要塞とトーチカの日本軍で、すざまじい砲撃と銃撃にさらされることになる。そしてさっそくデズモンドは弾幕のなか救護にあたらねばならなかった。そして一進一退ののち米軍は撤退を余儀なくされる。

負傷兵を残したまま崖を降りる海兵隊を横目にデズモンドは神に問いかける。「私はどうすればいいのでしょう?」そして答えを得る。「わかりました」と。

負傷兵をロープで縛り、日本兵のうろつく中、崖から一人づつ降ろしていくことを決意したのだった。

かずかずの戦記ものの映像や記録に照らしてみても細部はともかく史実に近い戦闘シーンがリアルに描かれていると感じた。

沖縄の米軍基地の兵士も「かつてこんな激戦があったとは知らなかった。」とインタビューに答えていた。

私が沖縄にいく理由は美しい海や気候景色だけのためではない。同時に戦争遺跡の巡礼と鎮魂の旅でもある。本島のみならず伊江島や久米島の悲劇(日本兵による島民の虐殺)も痛ましい。沖縄の知人たちのやさしさ、人のよさを思うと心がほっこりとしてあたたまる。そんな沖縄に長年基地をおしつけ、沖縄の人たちを苦しめ続けるアメリカ政府、そして日本政府に悲しさを超えて怒りすら覚える。基地をなくしてほしいと望んでいるがそれは無理であろうことは沖縄の人たちはわかっているのだ。そうではなくて沖縄ばかりに基地が集中していることへのいらだち、くやしさがある。あのやさしい沖縄の人たちが怒りを爆発させる、これはよほどの、どうしようもないほど我慢できないことがあったときだろうと共感できる。この長く平和だった島が本土の誤った戦争のために基地の島として運命づけられる結果となった。

ただ、作家の池澤夏樹さんが述べておられたように、アメリカは沖縄のことを「かつてたくさんの海兵隊が流した血で贖った島であり手放すつもりはない」と思っている。元総理大臣の鳩山さんがどう宣言しようと、オスプレイが何機墜落しようと、女性が何人暴行されようと、フリゲート艦が衝突事故起こそうとも手放さない。表向きは「施政権が返還された」にすぎず、グアムと同様、アメリカを守るための(日本ではない)重要な「アメリカの基地の島」であると思っている。「基地とキャンプは太平洋戦争で得たアメリカの領土」なのだ。(海兵隊は基地を持たないため「キャンプ」という)

たびたびの墜落事故を受けてのアメリカ軍の謝罪は形だけのもので、沖縄県知事の原因解明できるまでの訓練自粛要請など今後もいっさい無視し続けるであろう。沖縄はアメリカで唯一の「左側通行でドルの使えない」領土なのだろうか。ハクソー・リッジを見ながらそんなことを考えていた。

(同・81P) 2017.11

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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