2020年6月4日

嘆きのピエタ 受難のあさり

ミケランジェロ

ピエタ像とは「聖母子像のうち、死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻や絵の事を指す」Wiki


人には生まれつき相反する矛盾した気持ちがある、相容れない感情がある。

「かわいそうだ」というやさしい思いと「かまうこたねぇやっちまえ」という残虐な本能と。


いつものように割烹着着て近所のピーコックストアに夕食の食材探しにでかけた。

その日のお買い得品と新鮮な魚介類をチェックする。

暑くなってきた梅雨入り前の東京、ギョウザでスタミナをつけよう。そしてみそ汁の具は、、、

すると、おやじの目が熊本産のあさりにロックオンした。


水管の出具合で鮮度を確かめパックを手に取り「はるばる熊本からきたのか。お疲れだったね。」とまずねぎらいの言葉をかけ、かごに入れる。

あの東京目指して昼夜分かたず爆走するトラック、トレーラーに乗ってきたんだね。おいちゃんも14時間かけてたびたび北九州からやってくるから「おまえさんの気持ちもよーわかる。だが、ここはひとつわしの顔を立てて収めてはくれまいか」と鶴田浩二になる。


ここまでは「やさしいねぎらう気持ち」が私の中に横溢している。まるで捨て猫の里親になったようである。

そして「さぞ喉が渇いたろう」と生死をさまよっているあさりを鍋に放つ。


難しいのは塩加減。 でも、500㎖ペットボトルの水にキャップ2杯の塩で簡単に海水とおなじ濃度になる。

あさりたちは突然の慈雨に狂喜するがまだ心を許しておらず固く心を(殻を)閉ざしている。そのため、おやじは蓋をして暗くしてやる。

「明るすぎて恥ずかしいわ」ということなのだろう。


塩はあさりのために「長崎五島列島のとっぺん塩」というのにした。てゆーか、してあげた。

少しでも故郷に近い「火を使わず太陽で造った」塩でリラックスしてもらいたい一心の親心である。


疲れをいやし、ゆったりとくつろいでくれているか、ぱっと蓋を取って確かめる。あわてて殻を閉じようとするがあさりはあられもない姿になっているのがわかる。

あさりは「寝起きのこんな姿見られたくなかった」といっていた。

塩加減が気にいらなかったのか頑なにくつろがないことがこれまで何度もあった。ペットボトルキャップ2杯方式にしてからは安心してだらーんとにゅるにゅるしてくれる。


ここから捨て猫の里親になったはずのおやじの態度は一変、豹変する。

やくざ映画でいえば仲間だったやつが裏切っていきなり拳銃を取り出し背中に突きつけるように

鍋を火にかけるのだ。


あれだけ愛情を注いだあさりを生きたまま釜茹でしようとしているのだ。

同じ人間が深い同情と慈しむ仏から残忍で冷酷な獣にかわる瞬間である。しかも顔色一つ変えず塩で殻をこすって洗い鍋に放り込む。

しかも、おいしくするコツは殻があいたら火を止めて蓋をして余熱でしばらく置くことでぐつぐつ煮てはいけない、気を付けないとと感情のない機械のような冷静さで。


仏と野獣をいったり来たりするのがわしらなんだ。思えばさかなくん、牛さんや豚っち、鶏ちゃんたちにこれまでやってきたこと、みんなそうではないか。

というより仏教でいうところの「仏性を持った蛆虫でありさなぎである」のだろう。


そして我が家の定番、「よちゃんギョーザ」。包むのは女子供にやらせるが餡は秘伝の製法だ。

そしてホロコーストのあと何事もなかったように「美味しいね」と家族のだんらん。

2020/6/4

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