興味は幕末から明治へ。
その後どうなったかを知りたくなるのは自然の成り行きで「愛する人」をより知りたくなる過程と似ている。
そう、「江戸を愛しちゃた」の。
病気めいてきたが恋路はだれにも止められない。
おいらの師匠さんである東京シティーボランティアガイド下町グループの加藤リーダーはテレビ東京の朝の番組にガイドとして登場、番組は来週15日に放送される。
この人も重度の病気である。「重篤」といってもいい。江戸ウィルスに感染してしまっている。ワクチンはない。
今日は明治の本郷を散歩してみましょうね。明治4年版。
当時は諸大名、旗本御家人が江戸を離れ国元に帰り、130万人の世界最大の都市だった江戸の人口が58万人と半減していた。町の7割が武家地であったことから町民たちの生活もさぞ苦しいものであったろう。
さて、東京大学の北に「根津神社」がある。
神社の門前には遊郭があったそうだ。「吉原、品川に次いで繁盛していた」という。
ところが東京大学が明治10年に本郷にやってくると、「風紀上好ましくない」との理由で廃止され、深川区洲崎に移転した。
洲崎といえば、ほれあの歌川広重の鷲が流れていく棺桶を眺める名所江戸百景「深川洲崎十万坪」を思い出す。
ごみや大地震ででたがれきの処分場だったとこ。つまり、移転先に悪所が選ばれた。
洲崎の遊郭といえば名匠溝口健二監督の遺作となった映画「赤線地帯」(1956年)が思い浮かぶ。
「洲崎パラダイス」という遊郭街の特殊飲食店「夢の里」が舞台で、若尾文子や京マチ子たち娼婦がそれぞれ事情をかかえつつもたくましく生きるものの売春禁止法でゆれる時代の流れに翻弄される姿を描いている。
若尾文子は仲間の娼婦に金を貸してお金を貯め、病気で働けないだんなに代わり家計を支える小暮美千代、不良の家出娘の京マチ子、、、
容赦なく仲間に貸した金を取り立てる若尾文子と不良娘が板についている京マチ子の演技が光っていた。
溝口監督も歌川広重と同様、その時代の景色、社会情勢、風俗の瞬間(一瞬といってもいい)を切り取っている。
溝口作品のことを話し出したらとまらんようになるからやめる。
一枚の地図からあれやこれや連鎖反応を起こしややこしくなる。だれか止めてぇー
2020/6/12