野球をはじめスポーツ雑誌の草分け的な存在。
「ベースボールマガジン」は1946年創刊。創業者は池田恒夫氏。
「週刊プロレス」などでお世話になりました。
その池田氏の娘さんが作家の工藤美代子氏で小泉八雲の研究者。
工藤美代子氏と小泉八雲の接点はなんだろうとぼんやり思っていたところ、謎が解けた。
「(父は)スポーツとは全く関係のない分野の本を、小泉八雲の著作集を恒文社からせっせと出していた。」という。
出版社の社長であった父の影響。
スポーツ雑誌だけの会社にしたくなかったのだという。どの作家であっても理解の手掛かりとなるのは書簡集であって、そこまで集めて全集としていることは池田氏のただならぬこころざしの表れといえる。
好奇心が旺盛な多感な思春期には家の本棚にある書物は片っ端から手に取ってみるものだから、そこに置いてあった本の影響を受けるのはごくごく自然なことであろう。
おやじの場合、従軍経験を持つ父が集めた全6巻くらいの「太平洋戦史」ものであって、そこでガダルカナル、タラワ、マキン、沖縄、硫黄島の激戦、レイテ湾海戦、マリアナ沖航空戦などにはまっていった。
学校の図書室で読んで傾倒した本は一冊もないのはなぜだろう。おそらく一人静かに著者と向き合う環境ではなかったからだろう。つねに気が散っていた落ち着きのない子供だった。
この自伝には両親のいさかい、離婚、再婚、異母兄弟との思い出、父の女優の愛人、障害を持った兄のこと、茅ケ崎の別荘での暮らし、プラハ大学への留学、自らの結婚と離婚、再婚、大阪万国博覧会の喧噪などが思春期を迎えるころから普段着のまま赤裸々にあっけらかんに綴られている。最後まで父親との距離がつかめなかった娘の複雑な思いがその通奏低音として流れている。
最近の気の抜けた連続朝ドラよりずっとドラマチックで映像化に耐えうる内容だった。
新潟の立志伝中の人物である父親の事業の成功と挫折、再建を縦軸に、そして父と母、そして娘たちとの暮らしを横軸にして、戦後の昭和の熱気や風俗をとりまぜてドラマ化したらさぞいいものができあがるであろう。この「明治のカール」のようなタイトルだけはいただけないけれど。
「日本の高校を出て、アメリカやヨーロッパの大学に留学する」というのはあまりできの良くないお金持ちの息子や令嬢たちがはくをつけるためにいくもの、子供の行く末を案じた社長たちが国内の2流大学にいかせるくらいならと海外にいってこいと送り出すものと思っていた。
そこで、「〇✖大学を首席で卒業」などの不確かな、確認しようのない怪しげな経歴が残る。
工藤美代子氏もチェコスロバキアのプラハのカルレ大学に留学している。
例にたがわず勉強の出来はよくなかったという。そして、ときはソ連のチェコへの軍事介入のさなかで中退することになる。
ところがそこでの経験をきっかけにしたその後の体験がただのお嬢さんだった氏の目を覚ましたのではないかという気がした。
プラハではKGBがらみの情報収集に加担させられかけ身の危険を感じながら日本に逃げ帰った。(プラハについては自分の体験を次回書いてみたい。)
そして、ベースボールマガジン社は倒産、会社更生法を経て再建され、現在は弟さんが社長を務める。
お父さまはずんぐり腹が出て豆狸のようであったという。弟さんの哲夫さんもどことなくその面影があるような(失礼!)
ただ、どうしたものかその後の工藤美代子氏はあの「日本会議」に名を連ね、再婚した夫とともに当時の新聞の引用を根拠に関東大震災での朝鮮人の虐殺を否定するなどあらぬ方向を志向されている。
2020/8/14