東京新聞夕刊の記事に唖然とした。
メキシコオリンピックのマラソン銀メダルの君原さんの小学生の頃の通信簿。
東京五輪で3人の五輪代表のうちメダル候補ともてはやされながら8位と惨敗。競技前の大事な調整の期間に選手たちに寄せ書きにサインしてもらうために選手村を歩きまわりコーチを激怒させた。
1964年
引退後は新日本製鐵に勤務、短大講師などをされていた。
おかあさんが残してくれた通知表に記載されている担任の先生の評価が手厳しい。
大部分の評価が「やや劣っている」
小学一年生
「真面目であるがあまり向上しない。内気にて意志弱く、積極的に発表することなし」
三年生
「なにをやるにもボンヤリ外を眺めながらやるのででたらめになることが多い。何を聞かれてもオロオロして答えない」
四年生
「発表などほとんどせず、悪いことをやった仲間にはほとんど入っています。学習に対する熱がなく、ただボーとしていることが多く、注意されても一向平気でいます」
五年生
「温良ではあるが絶えずぼんやりとして真剣味がない。積極的に努力する気が少しもみられず、態度に明るさがない」
なんのための通信簿なのだろう。
ぼんやりしていた君原くんも君原君なら担任の先生も先生でよくここまで児童の人格の全否定といっていいほどのマイナス面だけを書き連ねることができるものだ。
君原くんには何をやらせてもだめでこのままだとこの子の将来はありません、本人にやる気がない以上お手上げです、おとうさんおかあさんどうしようもない子ですよ、この子は、といっているのと同じ。
いまはどうあれどうしたら少しでもよくなるか、少しでもいいところを見出してうそでもいいから誉めてやって木に登らせ希望をもたせてやるのが教師なのではないか。
「態度に明るさがない」余計なお世話だ!
およそ教師はひとにぎりの教育者といえる人格者をのぞき自分の好き嫌いで子供に接し、感情にまかせてふるまうもので君原少年はそんな先生の前では笑顔になれなかったのだろうと思う。
昭和16年生まれの戦中派。当時はまだ教師は軍国教育を引きずっていて特に男の子に対してはずばずば教師は親に物申せたからだろう。
ご本人によれば「野球をやればライトで9番。学芸会では端役ばかり、走っても運動会で一等や二等になることはなく、ビリにならずにほっとするという具合でした」という。
なんだか目立たなかった自分と重なる部分があって親しみがわく。
違うのは君原さんその後数々の晴れ舞台で大活躍されたのに対しぼっくんは鳴かず飛ばずいまだに「温良ではあるが絶えずぼんやりとして真剣味がない。積極的に努力する気が少しもみられず、態度に明るさがない」ままだということ。
校長先生が指さしていたのはブラジルあたりでアマゾン川のワニに万歳三唱をしていたことになります。
メキシコオリンピックで銀メダルを受賞した翌日の全校朝礼の時に校長先生が
「八幡製鉄所勤務の君原選手が銀メダルを獲りました。メキシコはあちらの方角ですから、あちらに向かって万歳三唱をしましょう。」
と言って、万歳三唱をさせられた事を覚えています。
本当にこっちがメキシコ?
小5の私は疑いつつ、何だか恥ずかしいなと思いながら万歳をしたのを覚えています。