昭和57年春に東欧を一人旅した。
イギリス中部ミッドランドのバーミンガムの知り合いのところでお世話になったあと、鉄道で東ドイツへ向かい、ベルリン、ライプツィヒ、ドレスデンを巡った。
当時共産主義国を旅行するのはそこそこめんどくさく、あらかじめ在日大使館に滞在許可を求め、滞在予定のホテルを予約し届け出ていないとビザが下りなかった。
だから得意のその日暮らしの気ままな旅も出来ず、行く前から窮屈な気分だった。でもその緊張感というか秘境感というか悲壮感というかその覗いてはいけない禁断の旅みたいんが心地よかった。その頃は観光地やリゾート地なんかにまるで興味はなくハワイやアメリカなんかは行っても仕方ないと思っていたから。
到着したなら到着したで第二次大戦の独ソ戦でロシア軍に徹底的に破壊された東ベルリン市街は破壊の傷跡も残り、廃墟にはたただただ広い道とでっかいだけで味もそっけもないビルが一面に建てられており、人々の活気や人々の暮らしや息づかいも感じ取れない町が私を待っていただけだった。
目的のひとつでもあったベルリン郊外ザクセンハウゼンユダヤ人収容施設を見学し、そして南下してライプチッヒ、ドレスデン、次にチェコスロバキアの首都プラハとピルゼンに向かうのだけどそもそも何のために好き好んで共産国家などを旅したいと思ったか。
答えの一つは本場もんのビールがどんなもんか自分の喉で確かめたかったこと、もう一つは西側が伝える共産国家の報道と実物実情実際がどう違うのか確かめたかったということだった。さらにいえば美しい古都は東欧に多く残っており、カメラをぶら下げた日本人に会わずにすむということだろうか。
ふたつ目の目的の答えはすぐにでた。西ドイツと東ドイツのどうしようもないほどの経済格差、生活水準格差を目の当たりにしたこと、さらにはソ連の暗い陰をそこに見たことで。
町は中世の落ち着いた美しいたたずまいを残してはいるけれどくすんで暗く、まるで町が喪に服しているようで人々は希望のないうつろな目をしていた。ひとことでいえばしあわせそうにとても見えなかった。
とはいえ、治安はよくみな親切で市民には無縁のホテルの高級バーやレストランにいっても格安でお金の心配することもなく安心だった。建前上通貨マルクは東西同じ交換レートだけど市中で闇ドルに交換すると6倍くらいになったと思うが、一番の問題はお店には買いたい商品というものが並んでいないことだった。
東西これが同じドイツ民族だろうかと思ったのが第一印象。ナチスにより犠牲になったロシア人は2700万人ともいわれている。ロシア人は未来永劫ドイツによる殺戮を許しはしないだろう。そのロシアに占領統治されるとこうなるのかという見本をこの東ベルリンに見た気がした。
街中ではツーリストビュローなどをのぞいて英語は通じないかわりにロシア語の表記を目にすることが多かった。
ドイツ語は第二外国語だったしちょびっとだけならわかる。今回の旅行前にあわてて興味本位でロシア語を学んだけれどこれはまったく使い物にならない。
それでもレストランなどではなるべく話しかけることにしていた。一人旅であっても言葉が不自由であってもかたことであっても地元のひとたちに話しかけることにしていた。
道がわからないふりをして尋ねてみたり、でないとこんな異国にわざわざやってきた意味がない。観光地巡りや美術館にいくよりずっとおもしろかった。
鉄道は貨車に何十両も戦車を積んで走っていたしロシア兵が銃を担いでうろついてもいた、そんな時代だった。
貧しく、笑顔なく、将来の希望なく、というふうに見えた。発展途上国の貧しいが活気と笑顔があふれているあの姿とはあきらかに違う。
旅をするときはまずはぼろな服を着てくたびれた靴を履いていって旅先の市場やデパートやスーパーで買い求めそいつらを捨てていくということをしてきた。
東ベルリンの目抜き通りの一流?デパートで買い求めた棚の上の最も高かった本格革靴は履いて一週間もせずに接着剤べっとりの靴底が抜けた。
1989年にベルリンの壁が崩壊したときようやくこれで東ドイツに春が来ると喜んだ一方でその道のりは険しいものになるだろうと思った。東独出身のメルケルおばさんの悩みの種である東ドイツはいまだに28年間の負の遺産を引きずっている。
若い人たちにはぜひとも若いときの曇りのない目で世界を見てほしいと思う。曇りのない心を持っているときしか感じ取れないものがあるはずだ。
じじいの観光グルメ旅行などは人生のおまけでしかない。
でないとドイツの背負った十字架や中国の習近平がやらかそうと企んでいることなんかは見えてこない。政治的には日本はアメリカの属国であり、首相からしてへらへら大統領のご機嫌ばかりうかがっている存在感のない国だ。
さいきん我が家のちょうど真上を羽田に向かう旅客機が降下してくるようになった。まもなく車輪をだすくらいの高度で次から次へとやってくる。
「南風時」の国際線の発着が集中する夕方の約4時間(15時~19時)のみということだけど。
長らく、というか戦後から首都東京の上空は米軍横田基地の管轄空域になっていて日本の飛行機は飛べなかった。
これが属国でなくてなんであろうか。
偉大な中国文明を持ちながら中国はイギリスをはじめ列強に蚕食され食い物にされ、日本の侵略を受けた。
そのみじめな歴史の象徴が香港であり台湾である。もはや人が多く貧しいだけの中国ではない。世界の下請工場を踏み台にして力をつけた中国はアヘン戦争以来の虐げられた歴史を塗り替えるためにアグレッシブな行動をするだろう。つまり二つとも力づくで中国に統一してしまおうとしていることはまさに今の香港情勢をみればわかる。
トランプのアメリカとの衝突は避けられない。
2020/9/11
“На протяжении собственной жизни каждому человеку приводится споткнуться о собственный «огромный шанс». К сожалению, львиная доля из нас просто подымается, отряхивается и двигается далее, как будто ничего и не приключилось.” – говорил У. Черчиль. На мой взляд, описываемая исходная информация и есть тот “великий шанс”,каковой позволяет присмотреться и идти по бытию далее, только наиболее мудро.
Спасибо за ваш комментарий. Я надеюсь, что одна Германия хорошо поладит с Россией и откроет новое будущее.