カテゴリー
未分類

「ミッドウェイ」2020年版 2020/9/15

アメリカ人の男たちはとかくヒーローになりたがる。女性はヒーローに憧れる。

そこでアメリカの戦争映画にはアメリカに立ち向かう強敵が必ず必要で、ナチスのように敵が強大で悪の帝国であればあるほど彼らの血がわく。


アメリカ国防省の制作した戦闘記録フィルムをかたっぱしからみているが、悪の帝国であるドイツと日本を強い抵抗を受けながらもいずれもアメリカの兵士たちの英雄的な献身で叩き潰すストーリーになっている。

ナチスとの戦いを描いた大量のハリウッド映画ではドイツ兵はアメリカ軍にこれでもかとやられる。それに対していまのドイツは沈黙している。


それに引き換え日本の軍人たちは自分がヒーローになろうなんて思わず、愛する祖国の防衛のために、愛する家族たちを救うため散っていこうと命を捧げようとした。そこが違う。

映画「ミッドウェイ」は前作(第2作目)となる1976年のよできがよすぎていて44年後の作品で名監督エメリッヒがどう前作を超えた作品にするのか楽しみにしていた、、、


空母エンタープライズの戦歴についてはよく時代考証がされている。


しかしながら被弾した一式陸攻がエンタープライズに体当たりしようと突っ込んでくるのを甲板上のSBD雷撃機の後部銃座で撃墜するシーンは先日配信されたヒストリーチャンネルのアメリカの空母エンタープライズのドキュメンタリー番組の構成のそのままのパクリだし、くふうがみられない。


日本の空母に急降下爆撃して爆弾を命中させるドーントレスのエースパイロットは六本木の深夜を遊び歩いている不良外国人そのままだったし、キャスティングも雑で冒頭のアメリカ人のヒーロー志向が全編にわたって鼻につく。


アメリカ映画特有のどんな映画でも無理くり色恋を絡めようとするやすっぽいおかざりのシナリオも見るべきところなし。

ただしこのシーンは印象的だ。CGの進歩に脱帽。


いちばん違和感があったのが何機ものゼロ戦が旧式(アメリカでは最新型)のドーントレス雷撃機の「後部銃座の銃撃で火を噴き撃墜される」シーン。

前作、前々作ではお目にかかれないシーン。年を経るとこうやって原作が書き換えられていくのだろうか。


何十年戦記を読んできたがが命中精度の低い、しかも鈍足の雷撃機の後部銃座でこの海戦で何機も撃破されるなど聞いたことがない。

「徹底的な時代考証をして」制作をしたというがほんとうだろうか。これは史実で確かめたい。(大空のサムライの坂井三郎は密集して編隊飛行するドーントレスに後後ろからドーントレスとは気づかず襲いかかり被弾する、ということはあったにせよ)


ナチスとの戦いを描いたハリウッド映画ではドイツ兵はアメリカ軍にいいようにこれでもかとやられる。それに対していまのドイツは沈黙している。どんなやられ方をしたとしても抗議しない。ハリウッドのユダヤ人たちが映画を復讐を込めて製作していることもあろう。故障した1両のシャーマン戦車で何百人のドイツ兵がいいようになぎ倒されるあり得ないあきれた映画もあった。


ナチスがやってきたことへの戦後のドイツ国民の深い反省がそうさせる。

それに対しおやじはアメリカにぼこぼこにやられていながら帝国海軍のためにあちこちに食いついてぶちぶちぶつぶついまだに未練がましく小言をいう。

ゼロ戦の1機や2機、どうだっていいやないねというかもしれないがそうではない。

邪馬台国のことならともかく、ニューヨークを空爆する「富嶽」の空想戦記ならともかく史実には忠実にどこまで迫れるかとことん追求してもらいたい。


そして、最も違和感があったのは、アメリカの司令官たちが「この海戦に敗れればアメリカは負ける!」と叫んだことだ。

ぜったいに「叫び」はしないと思う。

アメリカ人はそんな国民だ。


ミッドウエーで日本を空母が4隻失わなければ戦況は違った、という。確かに違っただろうがアメリカは当時10倍の国力があり、豊富な資源と圧倒的な物量、そして次々と新兵器を開発していったアメリカが日本を圧倒するのは時間の問題だった。

https://midway-movie.jp/

ミッドウエイ



これが豊悦だとわからなかった。お坊さんになってしまったかのような。


そして、國村隼演ずる南雲忠一中将はたしかに作戦指揮の失敗の中心人物であるが、この映画では作戦前から戦を知らない能無しの愚将として描かれている。あんまりだ。

光っていたのは浅野忠信演ずる飛龍艦長の山口多門だけでほかの司令官や参謀たちは作戦の失敗を最初から知っていたかのように最初から死にゆく死神のように暗く生気なく描かれている。


いちちやることなすこと癇に障るわ、疑問に思うわ、釈然としないわ、後味の悪い消化不良の映画だった。

CGが進化したからといって、優れた映画ができるわけではなく要するに「誰が原作を書き、だれが脚本を手掛け、だれがメガホンをもつか」にかかっている。