友人が操縦するヘリで東京を上空から遊覧する。
右奥に東京都庁、新宿公園上空。
なんでそうなったのか知らんが、アメリカでヘリの免許をとって、高須クリニックの院長のようになってしまった後輩に命を託す。
64歳まで生きてきたんだ、もういいだろうと、早朝そっと遺書を机の上に置き、置き土産となった新築の家に一礼し別れの言葉をかける。15歳のにゃんたちを撫でてほおずりする。
職場では見せたことのない精悍な顔。
米軍の戦闘機カーチスP40、ロッキードP38が太平洋戦争で好んで使ったサメの中国義勇軍フライングタイガース塗装。
思えばコードネーム「よこちん」は現職の時は部下であったが私と同様なにかを秘めた男だった。
私と同様、「まだ本気だしてないだけ」だった。
ふつう、何かを秘めた男は口数が少ないもんだが饒舌だった。しかもよけいなどうでもいいおしゃべりが多かった。重いひとこと、感銘を受けることばがその口から発せられることはなかった。
おしゃべりだったからか窮屈で水も漏らさない毅然としたわが社の組織の掟になじめずもんもんとしていたように見えた。
飲み会の時には「よこちん!」と声がかかると、スーツのパンツのジッパーをおろし、そこから人差し指をちょいとだして「よこちん」をやったりみせたりした。
どうでもいいい芸風の、受け狙いのみのひょうきんな男でもあったが人気があった。
リタイアしたとたんふっきれたようにアメリカに渡った。
鮫が好きだったのだろう。
そして、フライングシャークになった。
フライング、でよかった。ふっきれかたを間違えて空ではなく陸に上がって「歌舞伎町の新宿鮫」にならなくてよかった。
中国人ホステスを操縦することにならなくてよかった。
そうなっていたら、大沢在昌傘下の新宿鮫「よこちん」の舎弟になって元上司でありながらぼったくりバーの用心棒の一味の売掛金回収取り立て会計担当となり、集金かばん持って歌舞伎町を歩きまわっていたかもしれない。
夜は弱いし、押しも弱い。リモートワークもできず、コロナで大打撃をうけ、持続化給付金だのみになるところだった。
「よこちん」には管制室から間違っても自爆テロだけはするな、鮫はすり身にされて紀文のはんぺんにされるぞ、はやまるなと、指示をした。
2020/11/1 日曜日の東京上空