昭和の奇跡 居酒屋食堂「山田屋」王子2020/8/20

いくらテレワークといえども仕事ででかけなくてはならないときがある。

今日は北区王子。

用事をすませてただ池袋に向かうのがもったいなくて名店といわれている「山田屋」をはじめてのぞいてみることにする。


朝7時半から居酒屋として営業している。

お昼1時までランチ営業やっていったん休み、午後4時から再開。

ラストオーダー?は11時半だから暖簾をくぐったもののランチをあきらめる客続出。


かつて王子は板橋と並ぶ工場の町だった。造幣局の印刷所、古くは東京第一陸軍造兵廠。

3交代の工場では夜勤明けの工員がここで作業の疲れをいやした。

同じ北区の隣町である十条、赤羽もせんべろ(千円で安く飲める立ち飲み屋)の聖地でおやじを吸いよせる。(いまはコロナで出禁)

高い天井とたばこのやにで茶色く色づいた店内。昭和そのまんまがここにある。すぐにでも昭和が舞台の映画のロケができる。

ご近所のご高齢のご常連さんたちが集会所のようにセンターの長テーブルに10人ほど集まって11時前にはすっかりできあがっている。仕上げはランチのお弁当のようだ。

朝酒飲んで家に帰ったらばさまにぶつぶついわれながら横になって寝てしまうんだろうな。


この店はコロナ騒ぎとは無縁かと思えば「具合が悪そうな人と判断した人には入店をお断りする場合があります」というような張り紙があった。

ご常連さんのなかには「お酒、やめといたがいいじゃない?」とおぼしき足元の怪しいご隠居もいらっしゃるような。


お弁当は江戸時代のように足つきの赤いお膳ででてくる。


王子の飛鳥山は江戸時代にあの暴れん坊将軍の吉宗が桜を植樹させ行楽地として整備させたことからはじまる花見の名所だ。

車もアスファルト道路もビルもない、静かで土ぼこりの城北の江戸にいって富士と桜を愛でつつ花見を楽しみたいものだ。

ソメイヨシノは近隣の豊島区染井村で育てた桜が由来。

ご常連さんの足元をみると下駄ばき、草履姿。ご近所のなじみだことがわかる。小道具まで昭和で統一され入店したとたん昭和の30、40年代に連れ戻される。


ビールは基本大びん。私がいい店の条件としてあげているポイントのひとつ。

つまみも50円台から。200円前後が中心で高くても400円ほど。

厨房には肝っ玉母さんが2,3人。

フロア係の大将は注文を受けて伝票に書き込むのだが、料理をどこのテーブルで受けたかわからなくなって料理を運ぶとき注文主をいちいち叫んでさがす始末。

見かねて厨房のおばちゃんが「5番テーブル!」と叫ぶ。

ランチは江戸時代のようにお膳ででてくる。


レジはあるがレシートはださないしもらうひともいない。

これが昭和のあかし。


今日は家族がそれぞれ夕食を外でとってくるため、池袋西武で崎陽軒のシューマイ弁当を購入。

昭和50年から横浜で学生時代を過ごしたおいらにとっては特別な存在。横浜駅の小汚くうらぶれた東口にあった当時の崎陽軒の本店を思い出す。

どんどん値上げされいまは860円。

駅弁にはJRへの上納金が課せられいるためどうしても割高になってしまう宿命がある。

加えて「シューマイ娘」という娘でもない制服の販売員がブースに詰めているため人件費もばかにならんのだろう。

かわらぬパッケージ。かわらぬ木のぬくもりと蓋についたご飯粒。

ふたをあけると、

おなじみの顔ぶれがそのままの並びで整列している。

時代にあわせて進化せずかたくなに頑固なまでにこの味とレイアウトを守っている。

シューマイの味の秘密は豚肉に加えホタテが入っていること。


この俵ごはんがまたもっちり木の香りを吸って駅弁のなつかしさを漂わせている。

本日は昭和づくし。

こんな日もあってもいいのでは。

 

 

 

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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