Yokohama Tokyo Night Walk
週刊文春に連載されている「0から学ぶ日本史講義」の大ファンである。
特に江戸から現代につながる時代を毎週楽しみにしている。
消化がいい。原因があって事件が起きて、なるほどそうつながるのかとすとんと落ちる。
教科書が省いた、省かざるを得なかった、また省いてしまおうとした事実に触れている。
Dマガジンで読んでおり、発売(アップ)されるといちいち画面をスクリーンショットで撮って、ごていねいにプリントまでしてファイルしている。
そこまでやるのは松田優作の奥さん松田美智子さんが綴った回想録「越境者松田優作」くらいだ。
スプリングセンテンスはそのほかの記事も読みごたえがあって、週刊新潮とともに政権に対する野党の追及よりも強烈なインパクトがある。
出口さんは佐藤優さんとともに現代の知の巨人であると思っている。
歴史は横軸である国内外の出来事が交錯して重なり混ざり合って相互に影響を与え化けながら縦軸となって展開していく。
ひとつの出来事が起こる原因と、きっかけ、そしてそれが何を引き起こすことになるのか、そして実際どう事件として起こったかをからみあった糸にして紡いでいくことに重きをおいて述べられている。
いずれ単行本となるのはわかっていてもせっせとファイリングしてきた。
でました、ようやく。
「ぼくの個人的な意見や解釈はまったくといっていいほどはいっていません。」と出口さんは冒頭のべられています。
結論ありきの、話をこっちにもっていこうというのではなく「事実に歴史を語らせる」という手法です。
そしてこの著書で「江戸時代は日本史上では最低の時代ではないかという問題提起を行っています」と聞き捨てならないことをおっしゃってます。
このシリーズの連載に気が付いたのは途中からで、実は「0から」この本をひもとくことになります。
2020/11/23
とはいえ、このコロナ対策で通常数十人規模での開催のところ5人限定のミニミニ研修会となった。
今回巡るのは文京区小石川、茗荷谷エリア。
「武家地の面影を辿る」
ガイドリーダーの里見さんは昭和17年の下町生まれで「ひ」が「し」になってしまう江戸っ子でいながら威勢のよさは内に秘めたおだやかで謙虚な紳士である。
研修後、この方のように年を重ねたい、と思った。知的で紳士で連れ添った奥さまはさぞ幸せだろうなと。
地下鉄丸ノ内線の茗荷谷は池袋と後楽園のあいだの地味な駅でこれまでいちども降りたことのない駅で、この先降りることも降りるつもりもない駅でもあった。
大東京には40年外回りで都内各所を歩きまわったおいらであってもこんなうずもれた無縁駅は束にして掃いて捨てるほどある。
茗荷谷は駅を降りたとたん坂ばかりの武家屋敷跡とお寺だらけのまちだった。
2時間半のコースは徳川家関係の屋敷跡、かかわりの深いお寺を主にめぐる。
見ての通り古地図では白地(武家地)、赤枠(寺社)ばかりでグレイ(町民)は少ない。
いまでは跡地に拓殖大学などの学校が集まり、都心とは思えない閑静な住宅街となっている。
左の大きなお寺が浄土宗の伝通院で徳川家康のお母様の墓がある。
一般的には「でんつういん」と呼ばれているが「でんづういん」がただしい。
このあたりの町名の小日向も「こひなた」と読むが江戸古典落語などでは「おびなた」とあり、江戸っ子が「こしなた」となまらないようにとか諸説あるとのことだった。
禅寺深光寺の「しばられ地蔵」。
寺社奉行が町人たちの不満解消に地蔵を縛り、願いが叶ったらほどくようにしむけた、という。
本堂での座禅会が外国人に大人気らしい。
あちこちに文京区教育委員会による説明板がある。
切支丹屋敷跡もある。
あのスコセッシの映画「沈黙」でイッセー緒方が演じる宗門改役井上筑後守の屋敷で、「転んだ」(棄教した)バテレンを収容した牢屋と長屋。
新井白石がバテレンの知識を吸収するために宣教師シドッチを尋問したのもここでのことである。
太宰治の処女作「晩年」のなかの「地球図」でその様子が描かれており、そのシドッチは牢屋の看守夫婦に法を授けたことで獄舎につながれ牢死する。
「折檻されながらも日夜、長助、はるの名を呼びその信を固くして死ぬるとも志を変えるでない、と大きな声で叫んでいた」とある。
それが唯一逆に私からガイドリーダーの里見さんにお伝えできた話である。
平成26年跡地のマンション建設のさい、3体の遺骨が発掘され一体はシドッチのものと確認されている。
徳川慶喜終焉の地、永井荷風の生育地、三井財閥の本宅、善光寺月参堂、源覚寺こんにゃくえんま、で後楽園駅で解散となった。
こんにゃくえんまのお供え物はもちろん蒟蒻で(目の悪いおばあさんが眼病平癒のお礼に蒟蒻をお供えした)
お寺の関係者のおばさまが山積みになった蒟蒻をひとつひとつ手にして裏返していた。
「賞味期限」をチェックしていた、と踏んだ。
それにしてもそんなたくさん蒟蒻もってこられてどうするんだろうか。おでん屋にでもおろすのかなと思ってしまった。
本部の指示で研修後の飲み会も自粛。
定年後の職場以外の人との出会いはとてもうれしく楽しいものだ。自分が選んだコースの道すがらの出会いである。
善光寺月参堂の伏見稲荷風の鳥居はいかにも外国人受けしそう。
2020.11.20
羽田から都心を通過する新ルートで我が家の上空をかすめ出雲空港に向かう。
離陸後ほどなく3千メートル級の山々が連なる南アルプスの景色が眼下に広がる。八ヶ岳上空。
ボーイング747、座席数は400以上の機材で飛ぶ。
乗客は2割ほどの超ゆったり、超ソーシャルディスタンス、JAL大赤字転落まちがいなし便。
本来なら札幌や福岡に使う大型機材だがメンテナンスの関係でどこそこ関係なく定期的に飛ばしておかないといけないのだろう。
出雲空港の短い滑走路に着陸できるだろうかと不安になる。
そして大山、中海としだいに降下し私の生誕の地の遊覧飛行までしてくれる。
窓を開け身を乗り出し、食い入るようにながめる。
江戸時代にいちばん近い町。武家屋敷と神社とお寺、そして湖水と夕日のまち。静かで質素で簡素な暮らしの中で四季の風情やお茶をたのしむ。
雑踏や争いごとや大きな声が日本でいちばん似合わない偉大な僻地。
神社ではみな深々と礼をして境内に入る。
幼いころ、水郷際の花火大会とならび、この売布神社での夏祭りが楽しみだった。
露店が参道の両脇にぎっしり並んで妹たち浴衣着てひらひらした金魚のような子供たちがうじゃうじゃいて、わたあめや金魚すくいやお面やら、お化け屋敷やら輪投げなんかの店が裸電球に照らされて興奮したわたしたちとともにきらきら輝いていたあのころ。
暗闇にうかぶ真夏のワンダーランド。境内がディズニーランドだったのだ。
宍道湖の朝の風物詩はいまでもしじみとりの小舟で鋤簾と(じょれん)と呼ばれる道具で湖底を掬う。
遊郭跡を旅館や料理屋にしている。わたしの生誕の地にほど近いがおいらは遊郭生まれではない。
なにもかもがまずはお茶とお茶菓子にはじまる町。
レンタカーを借りて、用事を終えた後、島根半島北海岸をドライブしてみる。対面通行ができない断崖絶壁道路も健在でスリリングだ。
泳ぎを覚えた海岸はあの時のままで美しい。
自然も人も壊した島根原発だけは許せない。当時の地元選出の通産大臣と中国電力の社長の兄弟のしわざだ。
なんちゃらセンターだのがいくつもこの過疎のまちに原発予算で造られているが、いまはがらんどうの朽ちた廃墟のようになっている。つくった時からわかりそうなもんだがそれが政治の産物遺産というものだ。
境港はズワイガニ漁が解禁されたばかり。
魚市場の海産物センターは全部とは言わないがお土産屋とかわりなく、観光客用の、地元の人が敬遠する値段設定となっている。
さすが境港の超大型スーパーの鮮魚コーナーではゆでたてで湯気もうもうの真っ赤になったかにを格安で売っている。ゆであがるとおじさんがトレイで運んでくるのだ。
みたところ半額から三分の一程度の値段。生ゆでのカニのおいしさといったらない。
最近のレンタカーはハイブリッドなんだね。
そして、走行中センターライン超えると「はみだしとるぞ」と警告する機能までついている。
さらに追い越そうとする車がくるとドアミラーがオレンジ色に点滅する。
これには驚いた半面、いちいちうるさい、わかっとるわいと舌打ちした。こんなもんにたよらにゃいかんようになったら乗るな、って。
車のメーカーもパナソニックのように「よけいなちまちました機能」に走ってる。手詰まりに見える。ほかに全集中でやることがあるだろうと思う。
田んぼ道をのろのろ走るホンダNボックスをせっちんしてあおろうとすると「危険運転です」とナビが小池百合子の鬼滅声にかわってアラート叫びする。
わたしも「回答は差し控えさせてもらう」と半開き目の菅総理大臣のお通夜声で切り返す。
マスク外すと外したでホロスコープでコロナの女王岡田教授が運転席に狩野探幽の水にぬれた亡霊乱れ髪姿で目の前にあらわれる。
Go to キャンペーンの地域振興券電子マネーの残高をパネルに表示するわ、出雲歴史博物館にいって銅鐸や銅矛を見て来いとナビが命令するわ、いやはやこれから車はどうなっていくのやら。
2020/11/16
そんかし、今回の機種変ではいろんなことを自分でやらんといかん。
もう、悪魔ショップの魔女たち🧙♀️と決別することにした。
2年間のiPhone XSの画像やビデオを自分でバックアップする。
まずは最重要タスクである写真と動画の7,000近いデータのバックアップ。
iCloudだの、Googleフォトだののアプリでやれるわけがない。トライしたが気が遠くなるほどの転送スピード。
そこで、外付けUSBの登場。
2年間使ってみてアプリを含めiPhoneのための最強なツールであると断言する。
30ギガからのデータの引っ越しと保存。
idiskkでさっさとやってしまった。
これは魔女に知らぬ間に買わされてたやつ。かっこ^_^笑
あとはLINEやアプリの復元やらこれからまだまだ全集中でやることがある。
iPhone12の到着が楽しみ。
友人が最近リリースされたジョンレノンの2枚組のアルバムを送ってきてくれた。
生誕80年記念のアルバム。
いいバンドは素人の奴らが起こす化学反応だと思っている。
近所の悪ガキたちが化ける。
音楽学校からは生まれない。
ひとり、神がかったやつがいて、まわりのやつらが引っ張られる。
だいたいそう。
でも、ビートルズは神が2人いた。
ジョンは大日如来だと思う。
不良の魂。
バッハのジョンにモーツァルトのポールが出会った、と思っている。
ゼウスとアポロン。
魂とメロディーの神。
それにおちゃめなリンゴとスマートなジョージがスパイスを効かせる。
観音様や菩薩のように。
ジョンがオノヨーコと結婚してしまったとき、
白人の娘たち同様、ひどくがっかりした。
ビートルズには6年生のときにハマって以来、自分は松江生まれではなくリバプール生まれの英国人よっちゃんになっていた。
なんでよりによって妖怪みたいな東洋人のおばさんとなんかとくっついたんだろう。
Yokoは史上最低といわれる聞くに堪えないジャイアンのリサイタルふうのライブもやっている。
まだ、妖怪人間みたいなメラニア夫人のほうがよかったのではないか。トランプに「敗北を認めるように説得している」と知り、見方がかわった。
ジョージの奥さんはきれいだった。
ぼくも大きくなったらジョージみたいにイギリスの娘と結婚すると決めていた。
ちょうどそのころ流行っていた「小さな恋のメロディー」のたれ目のトレーシーハイドくらいがちょうどいいのではないかと思っていた。
お似合いではないかと内心思っていて、定期入れに写真をしのばせいっしょに高校に通学していた。
それがトレーシーハイドとは真逆の、東洋の島国のあらぬ方向へとむかってしまったがあとの祭りだ。
日本の女性はもてるらしいが所作を含め、背が低く短足がにまた、のっぺり顔の日本の男のもてかたは世界的には最低ランクらしいのだ。悔やんでも悔やみきれない。
あの極東の島国の魔女に魂を奪われ、ジョンは頭がおかしくなったんかとぜつぼーした。
その後の二人はやることなすことクレージーだった。
いまでもそう思っている。
その後のビートルズはもう私のビートルズとは別なバンドになった。ジョンがヨーコに出会う以前と以後、でわけている。
ただ、「Oh Yoko」を聴くたびに、80歳のレノンさん、いい人と出会えてよかったね、思えば一生出会えない人がほとんどだからね、といまではしみじみ思える。
ヨーコ以前では歌詞も,
好いた惚れた、手を握りたいんだ、彼女はあいつが好きなんだ、彼女があそこで立っているのを見た、一週間に8日愛している、とかいっけんどうでもいいような歌詞が大半だったが、ヨーコ以後になるとジョンの詩は余計なお飾りを取り払ったシンプルでピュアなものに蒸留され昇華され、ことばそのものが持つ魔法を紡ぐようなものとなっていった。
このCDを送ってくれた友人はヨーコ後の曲の信奉者(新訳イマジン派)で、ヨーコ以前の信者(リバプール旧約原理主義者)である筆者とよく真っ向から対立し宗教戦争の様相を呈していた。
CDを送りつけてきた理由は「お前もそろそろ分別がついてありがたみのわかる歳になったろ?そう意地はらんでもいちどじっくり聞いてみ」ということに違いない。
In the middle of the night
In the middle of the night I call your name
Oh Yoko, oh Yoko, my love will turn you on
In the middle of the bath
In the middle of the bath I call your name
Oh Yoko, oh Yoko, my love will turn you on
My love will turn you on
In the middle of a shave
In the middle of a shave I call your name
Oh Yoko, oh Yoko, my love will turn you on
In the middle of a dream
In the middle of a dream I call your name
Oh Yoko, oh Yoko, my love will turn you on
My love will turn you on
In the middle of a cloud
In the middle of a cloud I call your name
Oh Yoko, oh Yoko, my love will turn you on
Oh Yoko, oh Yoko, oh Yoko, oh Yoko
2020/11/13
学者でないと総理大臣にふさわしくないというつもりはない。
国民に対する責任感やこころざし、知性に裏打ちされた国家観とこの国のリーダーとしてのかじ取りの決意があればいいと思っている。
学術会議問題で蓮舫に追及される国会中継をみた。
答弁に詰まりうつろな目でおろおろ立ち往生する日本国の総理大臣の情けない姿が貧相なだけにあわれに映った。
総理を蓮舫が病院送りにするのではないかと心配になった。
あの6人は政府を公然と批判した輩だから任命から外した、それがなぜ悪い、となぜいえなかった。
それをあれこれ支離滅裂な理由をつけて乗り切ろうとするから助けを求め差し紙を読むだけの係長みたいなことになる。
菅さんはあのめちゃくちゃな政権を支えるためによくやってきた一見やさしげなおじさんだ。
総理大臣については菅さんがどうこうということより、ほかにリーダーとして、総理としてふさわしい人はいないのか、いるだろうに、いるはずだろう、という思いが先に立つ。
菅さんはマキアベリの「君主論」が好きだ、といっているらしい。
難解な本でとても読んだとは思えない。
あの、本を読まないであろう学術とは縁のない麻生さんが今回の学術会議の菅さんの対応にいつものごとく自分を棚に上げて「菅のお里が知れた」といっている。
あのイタリアの独裁者ムッソリーニはあれでとんでもない文化人であった。フランスの大統領にはまず詩人であったり文学的文化的な資質が求められる。でないと国民が許さない。
日本の総理に学術への造詣やリスペクトを求めるほうが間違いなのだろうか。
自信なさげで物憂い、日本の閉塞感を象徴しているともいえる、ぼそぼそお通夜でお悔やみをいっているような人が日本の首相として世界のリーダーたちと堂々と対峙し、渡り合っていけるのだろうか。
アメリカはまともな人が大統領になった。
わたしの驚きは大接戦となって暴君トランプが7000万票を得たことにあって、アメリカが深刻に病んでいることを再認識した。
バイデンさんに投票したのではなくトランプにノーの意思表示するための選挙であったという一面があったのだろうと思う。
あの知性と明るさを兼ね備えたハリス副大統領をもつことになったアメリカの民主主義に祝意を伝えたい。
2020/11/10
5Gはともかく、
まずはCPUとバッテリーの性能向上、見た目の違いは3つ目のレンズ、120度の超広角、5倍の望遠、ボケ効果と深度コントロール、ナイトモードなどの撮影性能がよくなった、そう。
さて、機種変に向けて動くべと思っていたちょうどその時、「半額サポートにご加入中のお客さまへ」がポストに届いた。
「機種変更がドーンとおトクに!」なるお知らせだという。
「お客さま限定特典」だという。
2年前小倉のソフトバンクショップで魔女と悪魔の契約をしたときに、2年後新機種に変更するといまのiPhoneXSMax256Gの2年間の残債は不要となる、との説明は魔女からたしかに受けていた。
でないと、吉原に売られた遊女のように死ぬまで借金がなくならず高倉健に遊郭の強欲なあるじをぶった切ってもらわない限り足抜け出来なくなる。
そのことのお知らせで、ショップにいかずWEBで変更手続きをしたならば、事務手数料3,300円が無料となる。
さらに、あなたさまのばあい、なんと、80,500円の支払いがいらなくなると、あなたさま限定感といまだけのお得感をそそらせる内容であった。もちろん下取りあってのことだからこの書き方が正しいのかどうか。「残債と同額で下取りしますので以後の支払は不要です」というあたりまえのいっているにすぎない。次の借金させておきながら「重くのしかかっていた借金がぱぁっと消えてなくなる」みたいな印象操作。
あらかじめ利益が上がるよう料金設定しておいて、いまさらお客さま限定特典もないだろうに。
ほんとに日頃のご愛顧にお応えしようとしているのだろうか。
とんでもない巨額の利益をあげながら税法のすきを突くスキーム組んで法人税もろくに払わず国税も菅さんも怒っておることに鑑み、どーーーーーんとお得にしてもらいたい。
ソフトバンクグループ(SBG)が9日発表した2020年9月中間連結決算(国際会計基準)は、純利益が前年同期の4.5倍となる1兆8832億円となった。 中間期としては過去最高益。 (Yahooニュース)
孫さんにはなんの恨みもないどころか敬意をもっているくらいだが街のもうけ優先体質のソフトバンクショップと芦田愛菜に不信感をいだいていたからして、WEBで手続きしちゃろうと思う。
優先的に在庫を確保?ほんまかいな。品薄になるほどの画期的な新機種ではないと思うが。
サンダーボルト外付けUSBがあるからもう容量を256Gにする必要もないかな(大量の動画を本体に保存しなくていよくなった)。これが2年前と違うところ。
「パシフィックブルー」だとよ。アトランティックブルーとはどう違うん?わしとおなじでミステリアスなブルーだわ。ようわからんが鮫っぽいところが気に入った。
2020/11/10
まさかの池袋。
しかも近寄ってはいけないといわれていた西口がこんなことになってしまった。
大統領選に敗北したトランプのようにまだ、この景色に納得できないでいる。
受け入れることができず最高裁まで争うことになるかもしれない。
「東京芸術劇場」が30年前の1990年にオープンしたとき、はきだめのまち池袋と芸術とがまるでミスマッチで、まずは都民から嘲笑をもって迎えられた。
西口公園はホームレスのたまり場となり、ごみが散乱し、じか引きJK(客とじかに取引する女子高生)、売人風の怪しげな人もたむろし、それがみなが納得する池袋らしさだった。
豊島区役所も世界第3位の乗降客の池袋(1位新宿、2位渋谷)の顔がこれではいかんとあしたのジョーのように立ち上がろうとしてきたが、立ち上がりきれなかった。「池袋で飲む」というとみなは「えーっ」といった。
なじみの店が池袋にある、なんてとてもいえたもんじゃなかった。
山手線と地下鉄から埼玉に向かって走る西武線と東武線に乗り換えるための地下通路、そして西武と東武のふたつの百貨店だけが池袋であって「駅袋」と半世紀にわたりいわれ続けた。
これだけ嘲られたままでいいはずがない。
おいらだってさんざんっぱら池袋をいたぶり、いじめながらも心の奥底では「がんばれ池袋、それでいいのか池袋」そう思っていた。西口にはまだまだ実弾のとぶあぶないゾーンがあるものの手始めはここから。
芸術劇場のリニューアルとあわせて西口公園がかわった。そこでオーケストラのコンサートをやっていた。曲目は「美しく青きドナウ」でつい足を止め聞き入ってしまった。
そのまた心の奥底では、オーケストラねぇ、美しく青き池袋?と信じようとしない自分がそこにいるほど根が深い。
丸井の前の一等地には現役の下駄屋さんがある。
友人が操縦するヘリで東京を上空から遊覧する。
右奥に東京都庁、新宿公園上空。
なんでそうなったのか知らんが、アメリカでヘリの免許をとって、高須クリニックの院長のようになってしまった後輩に命を託す。
64歳まで生きてきたんだ、もういいだろうと、早朝そっと遺書を机の上に置き、置き土産となった新築の家に一礼し別れの言葉をかける。15歳のにゃんたちを撫でてほおずりする。
職場では見せたことのない精悍な顔。
米軍の戦闘機カーチスP40、ロッキードP38が太平洋戦争で好んで使ったサメの中国義勇軍フライングタイガース塗装。
思えばコードネーム「よこちん」は現職の時は部下であったが私と同様なにかを秘めた男だった。
私と同様、「まだ本気だしてないだけ」だった。
ふつう、何かを秘めた男は口数が少ないもんだが饒舌だった。しかもよけいなどうでもいいおしゃべりが多かった。重いひとこと、感銘を受けることばがその口から発せられることはなかった。
おしゃべりだったからか窮屈で水も漏らさない毅然としたわが社の組織の掟になじめずもんもんとしていたように見えた。
飲み会の時には「よこちん!」と声がかかると、スーツのパンツのジッパーをおろし、そこから人差し指をちょいとだして「よこちん」をやったりみせたりした。
どうでもいいい芸風の、受け狙いのみのひょうきんな男でもあったが人気があった。
リタイアしたとたんふっきれたようにアメリカに渡った。
鮫が好きだったのだろう。
そして、フライングシャークになった。
フライング、でよかった。ふっきれかたを間違えて空ではなく陸に上がって「歌舞伎町の新宿鮫」にならなくてよかった。
中国人ホステスを操縦することにならなくてよかった。
そうなっていたら、大沢在昌傘下の新宿鮫「よこちん」の舎弟になって元上司でありながらぼったくりバーの用心棒の一味の売掛金回収取り立て会計担当となり、集金かばん持って歌舞伎町を歩きまわっていたかもしれない。
夜は弱いし、押しも弱い。リモートワークもできず、コロナで大打撃をうけ、持続化給付金だのみになるところだった。
「よこちん」には管制室から間違っても自爆テロだけはするな、鮫はすり身にされて紀文のはんぺんにされるぞ、はやまるなと、指示をした。
2020/11/1 日曜日の東京上空
松江は堀尾氏が慶長16年、1611年に築城するまで出雲大社を擁する神話のふるさとのただの小さな農村漁村にすぎなかった。
上の図は1644年に幕府が諸国に命じ、城郭図などをつくらせた「正保の郷帳・図絵図」。
(出雲国松江城絵図(いずものくにまつえじょうえず)
「正保城絵図は、正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図です。城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれているほか、城下の町割・山川の位置・形が詳細に載されています。各藩は幕府の命を受けてから数年で絵図を提出し、幕府はこれを早くから紅葉山文庫に収蔵しました。幕末の同文庫の蔵書目録『増補御書籍目録』には131鋪の所蔵が記録されていますが、現在、当館では63鋪の正保城絵図を所蔵しています。昭和61年(1986)国の重要文化財に指定されました。
原図サイズ:東西274cm×南北324cm」
全国の大名の極秘情報であるお城(要塞)のつくりがわかるように幕府は地図をつくらせた。天下統一の権力を背景にいやでも従わざるを得なかった。
幕府の親戚であった松江藩はともかく外様大名の反応はどうであったろう。
「水郷松江」。いまにも氾濫しそうでいか治水に苦労したであろうかが見て取れる。
大きい橋は大橋川1か所、橋の南詰(上)に寺院を集め防衛拠点とした。
左の木立が売布神社でその近くがおいらの生誕の地だ。
当時は大橋川の流域で埋め立てたのだろう。
江戸城の築城と時期が重なる。
江戸には平地はなかった。武蔵野台地の東のがけっぷちにあってその先は隅田川が氾濫を繰り返す葦が茂る湿地帯だった。
徳川家康がここに幕府を開くと叫び、本格的な城下町とするために日比谷の入り江を人力で神田の山を切り崩して埋立て、いまの下町の湿地帯に土を盛り、運河や河川を整備し橋を架け造成していった人工都市である。(1457年の太田道灌による江戸城の築城はあったとして)
中世からの遺構はあるものの開府当時はおよそ文化的な遺産に乏しく、無理くり大名たちを強制移住させ、お姫様を人質に取り、そして町人たちが蝟集して出来上がった、というより人為的に作り上げられた町だ。
松江も江戸もまずお城からはじまっている。
武将が宍道湖を見渡す山の上に登って宍道湖を眺めながら、宍道湖が大橋川となって流れていく付け根に「ここに城を築くのがよかろう」と決めた。
お堀をめぐらせ、あくまで防衛のための城づくりをした。
私が幼少のころ、1960年代にあってもヤマタノオロチの暴れ川である出雲の国の斐伊川の機嫌が悪いと宍道湖は氾濫し、大橋川の近くだった生家は浸水し水浸しになった。水が引いたあと市は白い消毒剤を家中に撒いた。
ちょうど隅田川の氾濫に悩まされた江戸のように。
ともにもともとは湿地帯でいい土地柄ではなかったのであろう。
江戸はその後上水道を整備した世界一の人口をもつ大都市になった。
爾来松江は今に至るまで月のように目だたぬよう山の陰にかくれて遠慮がちにひっそり暮らしてきた。その遠慮がちで控えめな人々の中にある日本の美や佇まいを見つけてしまったのはシャイで伏し目がちでかわりもんのひとりのちっこい西洋人で松江は彼をたちまち虜にしてしまった。松江が魔法をかけてしまった。熊本大学に転勤したとき魔法がとけて目が覚めたようだがもう後の祭り。
流浪の末、明治の神国の都の虜にされるために日本にやってきたも同然であった。
のんびりとして穏やかで茫洋とした城下町だけど魔法を使う。
出雲大社 門前 「竹野屋」 2020/10/25
妹夫妻はしっかりもので男勝りの未婚の娘に、弟に先を越された娘に、幼稚園の主になってしまった娘に、どうかいいご縁がありますようにと毎年「竹野屋旅館」に泊まり、25円を賽銭箱にこれでもかと投げ続け出雲大社に祈るような気持ちで、じっさいに祈ってはいるのだが、ご縁の願をかけている。
さいきんあってはならないことだが、妹夫妻のこころに出雲の神様に対する「不信感」のようなものが芽生えてきている。
ききめがないのではないか、社会的な立場もありそうとは決して口にはしないが、その語り口や表情からその信心に迷いが読み取れる。
出雲大社の神様はその信心の曇りを見逃すはずわけもなく、チェックシートに記録し、神在月の検討会議で審議していることだろう。
松江を離れて50年以上がたつ。
それでもお城や神社やお寺やを訪れるたびに、そしてお蕎麦を手繰るたびに、川や湖面の風を頬に受けるたびに松江をおもいだす。
心にしっかり根が張っているかのような不思議な町である。
そうして、開発や成長と無縁の後進県の首都であることを心配し、動きがあればあったでどうぞかわらずそのままでいてほしいと願う。
さきの気難しい西洋人はろくでもない原子力発電所より、中海の不要な淡水化干拓事業なんかより大切な松江の、日本の至宝であって、1890年8月に英語教師として着任して以来、松江の恩人として130年経ってもなお松江に湖面の夕日のようなやわらかな微笑みをかけてくれている。
宍道湖の夕日を前にするとかならず、
あなたなら今日の赤く染まる、うつろう雲と夕陽をどう書き描きますか?
あなたの目にいまの日本、いまの松江はどう映っていますか?と問いかける。
するとかんしゃくもちで一本気のイギリス人は「なんぼう、よくないです」といって悲しそうに首を振るのだ。
2020/10/25
取り返しのつかない政治判断、地域開発の最大の誤りは中曽根康弘主導のもと地元が地盤の自民党中曽根派の桜内義雄通産大臣と兄弟の中国電力社長桜内乾雄とで1966年に誘致を決めた島根原発とセットで計画された中海淡水化事業、この二つである。
江戸は幾度もの大地震と大火事で灰燼に帰しながらもそのたびにたくましく蘇生し復活してきた。
東京がもとはといえば寒村であった江戸をルーツとする、そして最後の城下町であるということを意識するようになったのは最近のことで同じような政治的な城下町で生まれ育ったこと、松江の社寺だらけの原風景が江戸の遺構としっくりと重なりつつあるからである。
「城山」(「じょーざん」、といっていた)お城が遊び場だった子供時代、毎日のように息をのむような宍道湖の景色を眺め、湖面を渡る湿った風を受けながら過ごしたあの日。
いま思えばなんとぜいたくな、夕日にとろけるような日々だったろう。
松江に限らず熊本、姫路、松本など「お城のある町」は特別で、お城を見上げるとお殿様が天守閣からいまでも領民たちのことを見守ってくれているような錯覚を覚える。
江戸城は明暦の大火(1657年)で焼失した。燃えてしまったけどもう天下泰平で必要ないし建て替えんけんね、といってそのまんまにしてしまった。
ゴーツートラベルを使って今月松江を再訪する。
松江は幸運にもおろかな再開発などで壊されることなく、少しもかわらず「どうしちょったかいねー」と私を待っていてくれるだろうけれど、私の方はといえば心境の変化が著しく、ねじくれたり、ひねくれたりしていて松江の方が喜んで受け入れてくれるかどうか心配だ。64才のときの2020年の松江をカメラに収めてこよう。
2020.11.3