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iphone12 On Sale

iphoneⅩSMaxに乗り換えてから2年。買いかえ時期だ。

菅政権が発足し、高すぎる携帯料金を下げろと叫び始めたとたん、各社があわてて低価格の料金プランを発表した。

叫ばなかったら、そのままぬくぬくしていたのだろう。いやらしい、と思ってしまうあわてぶりである。


半沢直樹のようにぎりぎりの経営をしており値下げの余地がないのなら、

「ソフトバンクは政府の値下げ要求を拒絶します!」と黒井大臣が率いるタスクフォースに向かって吼えればいいのに、吼えなかったということは値下げの余地があることを自ら認めたということなのだろう。


携帯キャリア各社は全国すみずみまで通話ができるよう通信設備や基地局の設置などでお金がかかる。マンションなんかの屋上に線香みたいなのが何本かたっているやつ。所有者や管理組合に安くはない設置料を支払っている。

そのため、日本の携帯料金は世界的に割高な料金システムとなっている。

高止まりをしている料金への批判の受け皿として、ソフトバンクはYモバイルという割安を売りにした会社をつくり芦田愛菜を使って大々的に宣伝している。


月額使用料1万円からの顧客がSIMフリー(携帯会社と紐付けがされていないSIM)の携帯に流れるのを阻止するためである。

Yモバイルは通信網、回線をソフトバンクから借りていて大家さんから部屋を賃借している状態だから自らは基地局の整備などはしない。その分月額使用料をおさえられる、ということだ。

ソフトバンクとYモバイルは別会社を装ってはいるがぐるである。同じ店舗で礼服と普段着を売っている。


さて、買い替えをどうするか。なにがベストかよくわからない。

街のソフトバンクショップの大半はソフトバンクの直営ではなく、独立し運営している会社だからそれぞれが店舗の家賃や人件費をまかなっていかなくてはならない。


裏を返せばそのために携帯端末の販売だけではなくその他のサービスによって稼ごうとする。

2年前の買い替え後、のー天気なおいらは引き落とされる月額料金のことを気にせず黙って支払い続けていたが、今回の買い替え時期を機に地元のソフトバンクショップでチェックしてもらったところ、2年前に「SDカード」の名目で月々の料金が上乗せさせられていたことがわかった。


それはおそらく本体といっしょにわたされたサンダーボルト接続ができるUSBメモリーやブルーツースイヤホンやバッテリーのことだとわかった。

単身生活中に買い替え契約したとき、販売員の女性はなにもいわずにこれらをテーブルの上に置いた。だからすなおにおいらは「ありがとう!」といってしまった。

てっきりサービスにおまけでくれたものと思っていたが商品代やらなんの説明もないままちゃっかり2年間の月額使用料に上乗せさせられていた。だまって「押し売り」、いや「置き売り」していた。

思えば彼女はおいらがどの程度のユーザーか見定めているようでもあった。ライトニング端子のUSBメモリーに興味を示していたのを見逃さず机に置いた。


うかつだった。さいわいその「おまけ」たちはとても気に入っていて重宝したのだが問題はその価格で市販価格の数倍の法外な料金となっていたし、明細は合計額だけ記載され個別にはわからないようになっていた。

たしか「S石」という30代半ばの窓口営業のおねえさんだった。

美人だが気の強そうな(北九州に多い)その顔だちもそのときのやりとりの一言一句も鮮明に覚えていたから小倉のリバーウォークにあるショップにいってコロナがそこそこ落ち着いたいま抗議してこようとも思ったが、2年経過しまさに支払いを終える時期だったこと、そうならそうとその場で、あるいはその後の引き落としのさいに確認しなかったおめでたいおいらの手落ちでもあると思いとどまった。


一般的には10万円を超す端末は4年間48回の分割払いとなっている。

2年で新製品に乗り換えるとすると買い替え前の残債を払い続けながら新しい端末代も支払うことになる。


だから、ユーザーがこらたまらんと悲鳴をあげないように、新携帯端末料金を半額にしたりする手を使う。

「携帯ショップでは買ってはいけない」、「携帯ショップにいってもいいのは高齢者でその後のサポートが必要な人たち」といわれている。

携帯ショップがそうしたサポート料金込みで運営されているからである。

ローンを組ませ4年間縛り、新製品が出るとさらに買い替えさせおいらのばあいアップルがずっと新製品をだし続ける限りローンから足抜けできないようにしてしまう。


すぐにでも携帯ショップの残債を精算して、アップルショップで一括購入するか、下取りもショップを避ける、あれこれ考えている。

ただし、アイフォン12と格安SIMの組み合わせはない。

スマホ販売手数料、オプションなど情報弱者を搾取する携帯ショップにはくれぐれもご注意ください。

 

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「武蔵野事典」発刊 2020.9初版

仕事のお礼に執筆関係者より寄贈を受けた。

武蔵野にまつわるバイブルといってもよい689ページの大著で各界の専門家による共同執筆。

武蔵野にフォーカスされてはいるものの、江戸、東京とのかかわりなしに語ることなどできるはずはなく、どう江戸が開かれ周辺部に膨張し開拓されていったか、どう東京に受け継がれたか読み物としてではなく記述の多くは歴史に多く割かれ史実をもとに詳述されている。


古代中世はさておき江戸、東京の資料がガイドブックでは飽き足らずもっとガツンとした資料を渇望していたおやじにとって渡りに船のお江戸百科事典だった。


一般的なお話としてではなく、数字をあげ、時期を特定しだれがなんのために何をした、が克明に記述されている。


築地の歴史もおもしろい。「築地居留地」の項をみてみる。

もともとは明暦の大火ででた瓦礫で砂州(鉄砲洲)埋めた土地。

そこに大名の上屋敷をおいた。大名屋敷の敷地が不足していたためである。

新富町と月島の中間にいまでも「築地明石町」という地名があるが、

そこに赤穂浅野家の上屋敷が新築され内匠頭はそこで産まれた。

浅野家はその屋敷の対岸に見える佃島を播州から臨む淡路島に、大川(隅田川)を明石海峡に見立てたことからその名がついた。


その後の苦難を前に内匠頭や浅野家の家臣たちが江戸の地でふるさと赤穂の風光明媚な景色を懐かしみすごした光景が目に浮かぶ。ファミリーマートの「築地明石店」のスタッフたちは知っているのだろうか。


そして幕末の開港でこの地が指定されて外国人居留地となり、教会、病院、学校が設立された。

築地明石町は慶應義塾、雙葉学園、暁星学園、立教大学、青山学院、立教大学の発祥地で、築地の聖路加病院のルーツもこの地。

浅野家上屋敷の東隣が大分中津藩の中屋敷で福沢諭吉がそこで蘭学塾を開いた安政5年の1858年を慶應義塾の創立年としている、、、


どうですか。歴史の風景、景色が土地と人々とからみあって連綿とつながっていきます。

 

こんな記事もあります。


「江戸周辺の地域は将軍家や御三家の鷹場となった、将軍や大名の鷹狩のために、村々は様々な規制を受け、鷹場制度の維持のためにオケラやエビツルムシ*などを鷹方役所に納入するなどの負担もあった」

村人がオケラを集めていたなんて、、、

*渓流釣りの餌として最高なのがエビツルムシらしい

ありがたくすみずみまで読ませていただきます。

2020.10.29